坂東眞理子 坂東眞理子の概要

坂東眞理子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 03:50 UTC 版)

坂東 眞理子
坂東眞理子
誕生 菅原 眞理子
(1946-08-17) 1946年8月17日(77歳)
日本 富山県
職業 評論家、元官僚
最終学歴 東京大学文学部
ジャンル 評論随筆
代表作 『女性の品格』(2006年)
ウィキポータル 文学
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第5代学校法人昭和女子大学理事長総長朝日生命保険相互会社役員。社団法人農山漁村女性・生活活動支援協会会長。

来歴

富山県出身[1]富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学文学部心理学科卒業後、1969年総理府に入省[1][2]1975年総理府婦人問題担当室(男女共同参画室の前身)に入室[1]、当時最年少の担当官だった。1978年に日本初の「婦人白書」の執筆を担当した[2]1980年よりハーバード大学へ留学[2]。帰国後、統計局消費統計課長、埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事(女性初の総領事)、総理府男女共同参画室長などを歴任[1]。2001年には内閣府男女共同参画局の初代局長を経て2003年に退官[1][2]。キャリアの多くにおいて女性政策に携わり、その立案をリードした。

2003年埼玉県知事選挙に出馬するが落選。以後、昭和女子大学教授、副学長、女性文化研究所長を経て同大第8代学長に就任[1]2016年から平尾光司の後任として第5代学校法人昭和女子大学総長[1]

2006年9月15日、『女性の品格』(PHP新書)を上梓[3]。同書は、仕事から私生活に至るまで、女性としての振舞い方をエッセイ風に説いた書物。2007年夏には大ブームを巻き起こし、トーハン発表の「2007年年間ベストセラー」総合1位を記録した[4]。翌年3月までに累計300万部を超えるベストセラーとなった。

経歴

人物

団塊の世代の前の世代、焼け跡世代(あるいはプレ団塊の世代)に当たる。早くから論壇などで執筆活動も活発に行っており、行政官としてのキャリアと2児の母としての役割を両立した経験を生かし、女性のライフスタイルにかかわる一般向けの著作も多い。24歳で結婚し「坂東」姓となったが、著作では旧姓「菅原」名義のものもある。

60代で富山県から上京した母とは92歳で亡くなるまで同居し、晩年は介護の必要もなかった[6]

選択的夫婦別姓制度導入にも賛同。座右の銘は愛語 (『修証義』より)[1]。趣味は、読書、俳句。


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 総長メッセージ|学校法人昭和女子大学”. office.swu.ac.jp. 2023年10月6日閲覧。
  2. ^ a b c d “女性の挑戦 「ひと」が映した50年”. 朝日新聞 朝刊 (朝日新聞社): p. 7. (2022年1月10日) 
  3. ^ 女性の品格 | 坂東眞理子著 | 書籍 | PHP研究所
  4. ^ トーハン調べ 2007年 年間ベストセラー
  5. ^ 一般財団法人 東京学校支援機構の設立について東京都教育庁総務部教育情報課
  6. ^ 「その人の人生は、“心住期”に現れる」坂東眞理子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第3回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2023年7月20日). 2024年4月11日閲覧。


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