坂東秀調 (3代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/17 10:12 UTC 版)
さんだいめ ばんどう しゅうちょう 三代目 坂東秀調 |
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屋号 | 大和屋 |
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定紋 | 花勝見 ![]() |
生年月日 | 1880年11月7日 |
没年月日 | 1935年9月22日(54歳没) |
本名 | 金子勝太郎[1] |
襲名歴 | 1. 市川
2. 坂東 3. 三代目坂東秀調 |
俳名 |
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出身地 | ![]() |
子 | 坂東又太郎 (7代目)(長男) 市川高麗蔵 (10代目)(次男) 坂東三津五郎 (9代目)(三男) 坂東秀調 (4代目)(養子) |
三代目 坂東秀調(さんだいめ ばんどう しゅうちょう、1880年(明治13年)11月7日[1] - 1935年(昭和10年)9月22日[1])は、日本の歌舞伎役者。九代目坂東三津五郎は三男、孫に十代目坂東三津五郎がいる。
経歴
東京府日本橋区蠣殻町(現在の東京都中央区)に生まれる。美声であったため、初め長唄の唄方を志したが、19歳の時に九代目市川團十郎に入門した[1]。
明治29年に市川升次郎の名で初舞台を踏む[2]。その後、二代目坂東秀調の女婿になり、明治32年に坂東勝太郎と改名[2]。明治37年に三代目坂東秀調を襲名した[2]。
二代目市川左團次の自由劇場や伊井蓉峰一座に招かれ、新劇や翻訳劇もこなす女形として重宝された[1]。
脚注
出典
外部リンク
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