名古屋電力 名古屋電力の概要

名古屋電力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 02:13 UTC 版)

名古屋電力株式会社
名古屋電力が起工した八百津発電所
旧八百津発電所資料館
種類 株式会社
本社所在地 名古屋市中区前津小林
字上キロメキ44-47・50番地[1]
設立 1906年(明治39年)10月22日[2]
解散 1910年(明治43年)10月28日[1]
名古屋電灯と合併し解散)
業種 電気
事業内容 電気供給事業
代表者 奥田正香(社長)
公称資本金 500万円
払込資本金 169万7020円
株式数 10万株(額面50円)
総資産 170万3962円(未払込資本金除く)
収入 2万979円
支出 2万979円(償却費含む)
純利益 0円
株主数 1906人
主要株主 A.L.バクナル (2.5%)、草刈隆一 (1.7%)、三浦泰輔 (1.7%)
決算期 5月末・11月末(年2回)
特記事項:資本金以下は1908年11月期決算による[3]
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1906年(明治39年)に設立。木曽川にて八百津発電所岐阜県)を起工し、名古屋市と岐阜県岐阜市に電力供給区域を設定して既存事業者名古屋電灯の競合会社となるはずであったが、1910年(明治43年)に未開業のまま名古屋電灯へ合併された。

設立の経緯

起業の中心人物兼松煕

名古屋電力は、八百津発電所建設計画の中から起業された電力会社である。八百津発電所計画は、1896年(明治29年)春、名古屋市の関信賢という企業家が木曽川沿岸を踏査して岐阜県加茂郡での水力発電所建設を企画したことに端を発する[4]。翌年に初めて水利権申請が行われるが、その後出願者の交替や取水地点・発電所地点の変更が多数あり、さらに出願者間の対立もあって長く事業化に結び付いていなかった[4]。こうした中、出願者の1人が加茂郡選出の衆議院議員兼松煕に相談を持ち掛けた[4]。兼松はこれに応えて事業の中心人物として立ち上がり、まず出願者間の対立調停に努め、次いで地元との協議を取りまとめた[4]

地元との協議を済ますと兼松は東京に戻り、岩田作兵衛[注釈 2]ら東京の資本家を計画に引き入れた[4]1904年(明治37年)春、兼松は当時の内閣総理大臣桂太郎の紹介により名古屋で愛知県知事深野一三名古屋商業会議所会頭奥田正香に面会する[4]。すると奥田は兼松ら東京側資本家の計画に賛同し、自ら名古屋側の主唱者となって名古屋の工場経営者を計画に引き入れた[4]。こうして発電所計画は東京・名古屋両財界の折半出資によって事業化することが決まった[4]

1904年7月27日、「名古屋電力株式会社」発起人は岐阜県に対し加茂郡八百津町字諸田に発電所を建設するための木曽川水利権を出願した[4]。発起人は計13名で、東京の兼松煕・岩田作兵衛・桂二郎(桂太郎弟[6])・久米民之助、名古屋の奥田正香・上遠野富之助斎藤恒三白石半助・相良常雄、岐阜県の渡辺甚吉らが名を連ねる[4]。名古屋側の発起人のうち上遠野は日本車輌製造、斎藤は三重紡績(後の東洋紡績)、白石は名古屋電気鉄道名古屋鉄道の前身)をそれぞれ代表する、電力需要家の関係者である[4]日露戦争後の1906年(明治39年)6月23日にようやく水利権が許可されると、同年10月22日、名古屋商業会議所にて名古屋電力の創立総会開催に至った[4]資本金は500万円[4]取締役には発起人から兼松・岩田・奥田・上遠野・白石・斎藤・相良の7名、監査役には発起人の1人渡辺甚吉と名古屋電気鉄道の神野金之助の2名が選出され、社長に奥田、常務兼庶務部長に相良、工務部長に兼松、営業部長に上遠野がそれぞれ就任した[4]。加えて事業の万全を期するため相談役渋沢栄一馬越恭平雨宮敬次郎という大物実業家3名が任命された[4]

本社は初め名古屋市中区新柳町7丁目4番地にあった会社創立事務所を引き続き仮事務所としていたが、1910年(明治43年)4月になって中区前津小林字上キロメキ45番地(後の南武平町3丁目39番地[7])の新築社屋へと移転している[4]

名古屋電灯との関係

会社設立後、1906年11月2日付で逓信省より電気事業経営許可が下りた[4]。許可を得た供給区域は名古屋市とその周辺11町村[注釈 3]および岐阜県岐阜市稲葉郡加納町で、いずれも電力供給のみの認可(電灯供給は不可)であった[8]。名古屋方面については名古屋電灯、岐阜方面は岐阜電気の電灯・電力供給区域とそれぞれ重複する[8]

このうち名古屋電灯については、名古屋電力設立に際し、設立に参加する案があった。具体的には、当時名古屋電灯常務であった三浦恵民が名古屋電力の発起人に加わり、名古屋電力の開業後はここから受電するという構想である[4]。しかし株主中から反対論が生じ、監査役からも株主総会の承諾なく取締役が同業他社の発起人となるのは商法違反との意見が出たため、参加は取り止めとなった[4]。また、名古屋電力社長に就任した奥田正香はかつて名古屋電灯の発起人であった。士族授産の一環として名古屋電灯起業が計画され、1887年(明治20年)9月に認可を受けた際、士族と実業家グループの共同経営という愛知県知事の意向に応えて発起人に加入したためである[9]。しかし奥田らの実業家グループはその後まもなく脱退したため、結局名古屋電灯は士族の会社として発足している[9]。ただ奥田はその後名古屋電灯開業直前の1889年(明治22年)に、「尾張電灯」という別会社を立ち上げようとした経歴もある[10]

名古屋電灯が建設した長良川発電所旧建屋

名古屋電力が発起されて以降、名古屋電力と名古屋電灯の間では水利権の獲得競争が多発する。舞台の一つは岐阜県を流れる長良川で、頓挫していた「岐阜水力電気」の計画を継承して名古屋電灯が水力発電所を建設しようとすると、名古屋電力もまた同一地点の水利権を申請した[11]。名古屋電力の申請は、名古屋電灯では株主総会で発電所建設の承認を得なければ行動できないという隙を突いたものであったが、名古屋電灯がシーメンス・シュッケルト電気(ドイツシーメンスの日本法人)を名義人として先願していたため長良川水利権は1906年12月名古屋電灯側に許可されている[11]。この水利権を元に名古屋電灯は1910年2月に長良川発電所(出力4,200キロワット[12])を完成させた[11]

木曽川上流部(長野県側)でも水利権獲得競争が生じた。長野県では、まず1906年9月、名古屋電灯が取締役佐治儀助の名義で読書村田立村(現・木曽郡南木曽町)における水利権を県に申請する[13]。この申請は書類不備として差し戻されたため、名古屋電灯がその整理にあたっていたところ、同年10月に今度は名古屋電力に関係する関清英大沢辰次郎・島崎広助によって上流大桑村から田立村に至る区間の水利権が出願された[13]。12月、名古屋電灯も整理の上で再度出願した[13]。こうして木曽川でも両社の競願が発生したが、当時の長野県知事大山綱昌は名古屋電力側に先願を認めて1907年2月水利権を許可した[13]。これに対し名古屋電灯は自社に先願権があると主張、原嘉道長島鷲太郎藍川清成の3弁護士を代理人として決定取り消しを求める訴訟を起こす[13]行政裁判所での審理の末、翌1908年(明治41年)2月に県側敗訴の判決があり、結局同年5月に名古屋電灯側に水利権が許可された[13]

上記地点とは別に、木曽川では1907年1月、関ら名古屋電力側の陣営が福島町(現・木曽町)から大桑村に至る区間での水利権を出願した[4]。これは同年4月そのまま許可され、翌1908年3月に名古屋電力の手に権利譲渡された[4]


注釈

  1. ^ 社名の英訳例:The Nagoya Electric Powers Co., Ltd.(山川朝三・大崎二郎 編『英和対照全国銀行会社決算報告集』、明治堂、1909年)。
  2. ^ 岐阜県出身の実業家で当時甲武鉄道取締役。1910年に愛知電気鉄道名古屋鉄道の前身)初代社長となる[5]
  3. ^ 愛知郡千種町御器所村中村愛知町八幡村および西春日井郡枇杷島町西枇杷島町金城村清水町杉村六郷村[8]。西枇杷島町は現・清須市、他は現・名古屋市。
  4. ^ 相良は1907年6月辞任。その他の役員の動きには、桂二郎の監査役就任(1907年6月就任)、吉田高朗の取締役就任(1908年6月就任)がある[4]
  5. ^ 当時の払込資本金は名古屋電灯の265万円に対し名古屋電力425万円[15]

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