名古屋市立菊里高等学校 概要

名古屋市立菊里高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 22:55 UTC 版)

概要

名古屋市立第一高等女学校を前身とし、戦後の学制改革・高校統合によって男女共学校となり、現在に至る。星ヶ丘校舎への移転によって、千種区内では唯一の公立の普通科設置校となっている。音楽科は全国的にも知られる[WEB 2]

東山地区の丘陵地(東山丘陵)に立地し、周囲は自然(東山公園)に恵まれている。また、最寄り駅である地下鉄東山線 星ヶ丘駅(徒歩で約5分)周辺は名古屋市東部の中心街のひとつであり、星ヶ丘三越星が丘テラスなどの大規模商業施設や椙山女学園大学が立地するなど華やかな周辺環境となっている。

自由な校風で、生徒の自主性を重んじる[WEB 3][注釈 1]

「菊里」という校名は、1962年昭和37年)までの所在地であった「名古屋市中区菊里町」(現在の中区新栄三丁目)に由来する。

なお、本校はNHK名古屋放送局制作のテレビドラマ中学生日記」に登場する「梅里高校」(うめざとこうこう)のモデルとされる[WEB 5]

沿革

  • 1896年明治29年) - 愛知県名古屋高等女学校として創立[WEB 6]
  • 1899年(明治32年) - 附属幼稚園創立[1][WEB 7]
  • 1912年(明治45年) - 名古屋市立第一高等女学校と改称[WEB 6]
  • 1913年大正2年)9月 - 名古屋市立第一高等女学校附属幼稚園が独立し、名古屋市立第一幼稚園となる[1][WEB 7]
  • 1948年昭和23年)4月 - 学制改革により名古屋市立第一高等学校となる。
  • 1948年(昭和23年)10月 - 高校統合により名古屋市立第二商業高等学校(旧第二商業学校)と合併、名古屋市立菊里高等学校となる。普通・商業の2科に商業科(夜間)を併設。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 高校三原則に則り、小学区制、総合制(普通科・商業科・家庭科)の男女共学となる。
  • 1949年(昭和24年)5月 - 音楽科新設。
  • 1950年(昭和25年) - 定時制課程(夜間)に普通科新設。
  • 1951年(昭和26年) - 校歌制定。
  • 1952年(昭和27年) - 家庭科の募集停止。
  • 1954年(昭和29年) - 全日制課程商業科の募集停止。
  • 1956年(昭和31年) - 小学区制が廃止され大学区制となる。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 定時制課程商業科の募集停止。
  • 1962年(昭和37年)9月 - 全日制課程が現在の星ヶ丘校舎に移転。
  • 1966年(昭和41年) - 菊友館(体育館兼講堂)竣工[WEB 6]
  • 1971年(昭和46年) - 定時制課程が名古屋市立錦高等学校として独立。
  • 1973年(昭和48年) - 学校群制度による第1期生入学[WEB 6]千種高校と名古屋1群、市立向陽高校と名古屋15群を組む。
  • 1989年平成元年) - 複合選抜入試制度による第1期生入学[WEB 6]。普通科は尾張1群Bグループ、音楽科は専門学科Bグループに属する。県立旭丘高校市立名東高校に加えて、県立春日井高校県立小牧南高校県立丹羽高校とも併願可能になったことから、名古屋市立高校でありながら、特に春日井市小牧市の出身者が大量に通学してくることとなった。[注釈 2]
  • 1995年(平成7年)6月 - 創立100周年記念式典。
  • 1995年(平成7年)8月 - 運動場全面改修。
  • 1999年(平成11年) - 音楽科創立五十周年記念行事[WEB 6]
  • 2003年(平成15年) - 第2体育館(サブアリーナ・プール)完成[WEB 6]
  • 2007年(平成19年) - 複合選抜の群・グループの一部変更。本校に変更はなかったが、県立春日井高校、県立小牧南高校、県立丹羽高校の群・グループの移動によって、これらの高校との併願は不可となり、以前と比較して春日井市と小牧市の出身者は激減した。新たに県立昭和高校との併願が可能になり、在校生に名古屋市出身者の占める割合も大きく回復した。また、丹羽高校の代わりに県立江南高校が併願校として新たに選ばれるようになった。[注釈 3]
  • 2009年(平成21年) - 耐震補強工事終了[WEB 6]
  • 2023年令和5年)1月 - 男女ともブレザーを採用した新制服が発表された。女子生徒のスカート横の白線は維持され、新たに男女のブレザーの右襟にも白線があしらわれた。[WEB 8]
  • 2023年(令和5年)3月20日 - 「私服併用化に関する生徒と教職員の合意書」が双方代表が署名して交わされ、次年度以降、新制服に加えて、私服併用の学校生活が認められた。[WEB 9]

教育目標

市民社会の有為な一員として必要な資質を養う[WEB 10]

一般的教養を高めるとともに個性の伸長をはかり、自主的学習態度を育て基礎学力の充実に努める[WEB 10]

社会について理解を深め、健全な批判力を養うとともに自他の敬愛と協力によって、文化の創造と国家社会の発展に寄与するよう努力させる[WEB 10]


注釈

  1. ^ 県立瑞陵高校の同窓会誌に「名古屋市内で自由な校風をもっているのが第一番に菊里で、旭丘、瑞陵がこれにつぐ。」と書かれるほどである。[WEB 4]
  2. ^ 2001年には、新1年生の出身地は、名古屋市が43.3%にまで落ち込み、春日井市は24.8%、小牧市は8.0%に達した。他に近隣の日進市6.0%。[2]
  3. ^ 2011年には、新1年生の出身地は、名古屋市が72.8%にまで回復し、次いで近隣の日進市が5.3%、長久手町(当時)が3.9%と続いた。春日井市は2.8%にとどまった。[3]
  4. ^ 東名ハイウェイバスは、静岡東京方面行は乗車のみ、名古屋駅方面行は降車のみ。

出典

  1. ^ 愛知県公立高等学校の通学区域並びに群及びグループ分けについて” (pdf). 愛知県教育委員会. 2015年1月24日閲覧。
  2. ^ 静岡新聞 - 浜松学芸高100年の歩み 第2章 「校史編」県内初の音楽科誕生”. 2015年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月8日閲覧。(2002年12月27日)桐朋上野学園菊里東京芸大などの名門を訪ね歩いて施設設備を見学。 2017年8月2日閲覧
  3. ^ 教育目標”. www.nagoya-c.ed.jp. 2020年5月23日閲覧。
  4. ^ 瑞陵会. “「五中-瑞陵60周年記念誌」第3部 終戦から現在まで”. 2022年2月19日閲覧。
  5. ^ 鈴木貴博 (2009年9月29日). “プロデューサーに学ぶアイデアを現実にする力 第6回 公務員プロデューサーが世界的科学者の種を蒔く”. NEC Wisdom. 2014年4月14日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 歩み”. 名古屋市立菊里高等学校. 2015年1月24日閲覧。
  7. ^ a b 名古屋市立第一幼稚園 沿革
  8. ^ 新制服”. 名古屋市立菊里高等学校. 2023年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月18日閲覧。
  9. ^ 学校行事”. 名古屋市立菊里高等学校. 2023年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月18日閲覧。
  10. ^ a b c 教育目標”. 名古屋市立菊里高等学校. 2015年1月24日閲覧。
  11. ^ 交通案内”. 名古屋市立菊里高等学校. 2017年8月2日閲覧。
  1. ^ a b 名古屋市会事務局 1963, p. 210.
  2. ^ 愛知県教育振興会発行「公立高等学校ガイドブック2001」 P.399
  3. ^ 愛知県教育振興会発行「公立高等学校ガイドブック2011」 P.314






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