児童文学 イラストレーション

児童文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 22:39 UTC 版)

イラストレーション

エリザベス・シッペン・グリーン英語版『旅』(1903)

児童書にはしばしばイラストレーションがふんだんに添えられている。一般的に、幼い読者に向けた本であるほど絵が果たす役割は大きくなり、特にまだ文字を読めない幼児向けの本がそうである。子ども向けの絵本は幼い子どもにとって、高水準な芸術に認識可能な形で触れることのできる機会となりうる。

多くの児童文学作家は気に入ったイラストレーター(挿絵画家、イラストレーター漫画家)に自分の言葉を絵にしてもらうが、最初からイラストレーターと共に本作りをする場合もあれば、イラストレーターが自分自身で本を書く場合もある。イラストなしでも話を楽しめるだけの読書力に達した後も、子どもたちは本に時々出て来る絵を楽しんで眺めるものである。

歴史

児童文学の定義自体が明確なものではないので、その歴史がいつ始まったのかを特定するのも難しい。ここでは子どもに向けた、もしくは子どもに広く受容された書物あるいは文学の発達を概観する。

前史

子どもに人気のある物語の中には非常に古い時代に書かれたものもある。『イソップ寓話』は紀元前3世紀に成立し今も世界中の子どもたちに愛されているし、トマス・マロリーの『アーサー王の死』(1486年)や『ロビン・フッド』(1450年頃)は子どものことを念頭に置いて書かれたものではないが、何世紀にも亘って子どもたちを魅了してきた。

17世紀

1658年、チェココメニウスがイラスト入りの知識の書『世界図絵』を著した。これが明確に子どもに向けて書かれた最初の絵入り本であると考えられている。また、この時代にはフランスのシャルル・ペロー(1628-1703)が童話の基礎を築いた。ペローの物語には『赤ずきん』『眠れる森の美女』『長靴をはいた猫』『シンデレラ』などが含まれている。

18世紀

1744年、イギリスでジョン・ニューベリー英語版が『小さなかわいいポケットブック』を出版した。ニューベリーはこの本を男の子にはボール、女の子には針刺し付きで販売した。明確に子どもに向けて販売された娯楽書の始まりとして時代を画するものであったと考えられている。ニューベリー以前は、子どもと大人のための物語の豊かな口承は存在したが、子どもに向けて販売される文学は子どもを教育することを意図したものであった。

19世紀

ウィルヘルム(左)とヤコブ(右)のグリム兄弟Elisabeth Jerichau-Baumann[訳語疑問点]画(1855)

19世紀初頭に、ヤコブとウィルヘルムのグリム兄弟が『白雪姫』『ラプンツェル』『ヘンゼルとグレーテル』などのドイツの口承を記録し保存に努めた。E. T. A.ホフマンの物語『くるみ割り人形とねずみの王様』1816年にドイツの子供向け物語集に掲載されました。これは、児童文学に奇妙でグロテスクな要素を導入した最初の現代短編小説でした。

1835-1848年にかけて、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンが『人魚姫』(1836年)、『裸の王様』(1837年)、『みにくいアヒルの子』(1844年)、『雪の女王』(1845年)などの、伝承に基づかない創作性の高い童話を刊行した。アンデルセンはヨーロッパ中の子どもたちに喜びを与えたとして、存命中から王族によって祝宴が行われ称揚された。アンデルセンの童話は150以上もの言語に翻訳され、今日でも世界中で百万部単位で刊行され、他の数多くの作品にも影響を与え続けている[10]。「裸の王様」や「みにくいアヒル」は現代英語や日本語などでも良く知られた慣用句として通っている。

1865年、イギリスでルイス・キャロル(1832年 - 1898年)が『不思議の国のアリス』を刊行した。この物語は論理学とも戯れており、子どもだけでなく大人にも長く人気となっている。『アリス』は文学的ナンセンスの最も特徴的な例の1つと考えられており、その物語の進行と構造は主にファンタジーの分野で極めて大きな影響力を持った。

1880年に、スイスヨハンナ・シュピリ(1827年 - 1901年)が『ハイジ』(1880年)を出版した。副題には、この本が「子どもと、子どもを愛する人のため」の本であると謳われている。ジョーエル・チャンドラー・ハリス(1845年 - 1908年)はアフリカ系アメリカ人方言を話す動物キャラクターが登場する民話を書いた。


20世紀

1900年、アメリカ合衆国でライマン・フランク・ボームが『オズの魔法使い』を発表した。以後、さまざまな版が絶えず刊行されている。1902年には舞台化され、1939年には映画化された。アメリカ文化の中でも最も知られた物語の1つであり、40ヵ国語に翻訳された。『オズ』の大成功を受けてボームは13篇の続編を書き、ボームの死後も複数の作者が数十年間に亘り続編を書き続けた。

『ピーターラビットのおはなし』

1902年、ビアトリクス・ポターは『ピーターラビットのおはなし』を発表した。いたずら好きで反抗的な若い兎のピーターラビットが、マクレガーさんの農場に忍び込む話である。発表以降100年以上に亘り、この本を基にした玩具、皿、食品、衣類、ビデオなどの夥しいグッズが生み出された。1903年にピーターラビット人形の特許権を取得したポターは、こうしたグッズ化の先駆けの一人となった。

1911年、ジェームス・マシュー・バリーは『ピーター・パンとウェンディ英語版』を著した。ピーター・パンは児童文学で最も有名なキャラクターの1人であり、魔法によって歳を取らなくなってネバーランドと呼ばれる小さな島で終わることのない子ども時代を過ごしている。

第二次世界大戦中の1943年に、飛行士アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年 - 1944年)は『星の王子さま』を出版した。砂漠に不時着した主人公が、星からやって来た子どもの心を持った王子と語らうこの物語は人間性の洞察に富み、現在までに180ヶ国語に翻訳され8000万部を売り上げている。

グローバリゼーションに伴い翻訳による創作児童文学作品の世界的・爆発的な普及が見られるようになり、イギリスのC・S・ルイス(1898年 - 1963年)の『ナルニア国ものがたり』(1950年 - 1956年)シリーズは41言語で通算1億2千万部以上、同じくイギリスのJ・K・ローリング(1965年 - )の『ハリー・ポッター』(1997年 - 2007年)シリーズは63ヵ国語以上に翻訳され4億部以上を売り上げた。


日本

雑誌『赤い鳥』創刊号(1918)

日本の児童文学は、近代文学成立とほぼ同時期に確立されたと考えられる。巖谷小波による『こがね丸』や小川未明の第一童話集『赤い船』(1910年12月)が始まりとされる。1918年には鈴木三重吉主宰の雑誌『赤い鳥』が刊行された。芥川龍之介有島武郎北原白秋などが参加したこの雑誌は、後に新美南吉らを輩出するなど児童文学の普及・発展に貢献した。宮沢賢治は同時代の作家だが、擬声語やリズム感が当時の童話としては異質だったため、生前は評価されることがなかった。その後日本では、大人から児童に向けた教育を主眼とした内容のものが主流となっていたが、1960年代頃から遊びの要素を持ちエンターテイメントとしても優れたものや、大人の文学表現にも匹敵する作品が登場するようになった。詩においてはまど・みちおが著名である。当時の絵本は文字を主、絵を従としたものだったが、いわさきちひろは絵で展開する絵本を制作し、国際的にも高い評価を得た。やなせたかしの『アンパンマン』は当初大人向けに書かれたが後に幼児向けの絵本として再発表され、テレビアニメで絶大な人気を博した。

研究・団体

近年では児童文学研究の地位が高まりつつある。児童文学批評英語版の分野での文芸評論分析が増加しているほか、児童文学協会英語版(ChLA)、児童書作家・画家協会英語版(SCBWI)、国際児童図書評議会(IBBY)、カナダ国際児童図書評議会英語版などの児童文学の学術協会も数多く存在している。 国際児童図書評議会(IBBY)が機関誌として1963年から発行する世界の児童文学誌『Bookbird』は、初の多言語版として2010年から邦訳『ブックバード日本版』がマイティブックから発売されている。


児童文学における文化はさまざまな学問領域で研究されている。アメリカ合衆国では、幼児教育および初等教育の教員の養成過程で児童文学の講義が必修となっていることが多い。

日本での研究・団体

日本における児童文学の学問的研究は体系的に整備されているとは言い難いが、白百合女子大学玉川大学梅花女子大学東京純心大学などは専門の学科・研究科を設置している。また他の大学・短大も、何らかの形で児童文学関連の講座を設置しているところが多い。なお、教育系の学部・学科においては、幼児教育や児童学と関連づけられる場合がほとんどである。

児童文学など児童書関連が公開されている資料センターとして国際子ども図書館(東京・上野公園内)と大阪府立国際児童文学館大阪府立中央図書館内)がある。国際子ども図書館は国立国会図書館の児童書関連を移管して2000年に開館した(全面開館は2002年)。大阪国際児童文学館は1984年に鳥越信の蔵書12万点のコレクションをもとにマンガ、紙芝居などを含めた児童文化の資料館・研究施設として開館した。両者の資料点数は拮抗しているが、研究・レファレンス及び収集方針の専門員による差異により、貴重本の収集や資料保存方法などでは大阪の方が充実している。例えば、国際子ども図書館では、旧来の図書館としての保存方法で、カバー・帯の廃棄や保存カバー・バーコードの装備で資料が変形されたり、雑誌が合本化されて閲覧しにくく資料性が欠損したりしている場合がある。一方、大阪国際児童文学館では、1点ずつの個別保存で雑誌の合本化もなく付録も貴重な児童文化財として保存している。

児童文学者の団体としては、1946年に児童文学者協会(後の日本児童文学者協会)が設立され、1955年に日本児童文芸家協会が成立した。それぞれ機関誌として「日本児童文学」、「児童文芸」を刊行している。他に児童書のイラストレーターの団体として日本児童出版美術家連盟(童美連)があり、この三者に日本書籍出版協会の児童書部門を含めた通称“四者懇”があり、児童書をめぐる著作権等の諸問題について協調して行動している。

また、研究者の団体としては、日本児童文学学会や英米児童文学学会があり、読書運動では、親子読書地域文庫全国連絡会(機関誌『子どもと読書』)などがある。


  1. ^ a b 大橋 2014, p. 18.
  2. ^ Biography of Nancy A. Anderson, EdD”. 2009年3月3日閲覧。
  3. ^ Anderson 2006, p. 2.
  4. ^ Card, Orson Scott (2001年11月5日). “Hogwarts”. Uncle Orson Reviews Everything. Hatrack River Enterprises Inc. 2009年3月3日閲覧。
  5. ^ Liukkonen, Petri (2008年). “Mark Twain”. 2009年3月3日閲覧。
  6. ^ Anderson 2006
  7. ^ Anderson 2006, pp. 84–85.
  8. ^ Anderson 2006, p. 89.
  9. ^ 大橋 2014, p. 103.
  10. ^ Elias Bredsdorff, Hans Christian Andersen: the story of his life and work 1805–75, Phaidon (1975) ISBN 0-7148-1636-1


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