三河槙原駅
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三河槙原駅 | |
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駅舎(2009年7月) | |
みかわまきはら Mikawa-makihara | |
◄湯谷温泉 (2.6 km) (2.3 km) 柿平► | |
所在地 | 愛知県新城市豊岡字ドウデイ2 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | CD 飯田線 |
キロ程 | 40.6 km(豊橋起点) |
電報略号 | マハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
18人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1923年(大正12年)2月1日 |
備考 | 無人駅[1] |
概要
豊橋駅(愛知県)と辰野駅(長野県)を結ぶ飯田線の途中駅(中間駅)の一つである。新城市北東の長篠地区に位置する。
鳳来寺鉄道によって1923年(大正12年)に開設された。その後国有化を経て、1987年(昭和62年)にJR東海へ継承されて現在に至っている。
歴史
当駅を開設した鳳来寺鉄道は、現在の飯田線中南部に当たる大海 - 三河川合間を建設した私鉄である。この区間が建設された1923年2月に、当駅はその途中駅として新設された。この鳳来寺鉄道の鉄道路線は1943年(昭和18年)8月に買収・国有化されて国鉄飯田線の一部となるが、それに伴って当駅も国鉄に移管された。
国有化後の昭和30年代、駅近くに採石場があり、砕石の積出し駅であった[2]。しかし1971年(昭和46年)12月、開設時から行っていた貨物取扱は廃止され、旅客駅となった。そして1987年4月の国鉄分割民営化を迎え、JR東海へと継承されている。
年表
- 1923年(大正12年)2月1日:鳳来寺鉄道の駅として開設[3]。
- 1943年(昭和18年)8月1日:国有化、国鉄飯田線の駅となる[3]。
- 1971年(昭和46年)12月1日:貨物と荷物の取り扱いを廃止[3]。
- 1979年(昭和54年)5月26日:愛知県民の森で行われた第30回全国植樹祭のため豊橋駅 - 当駅間にお召し列車が運転され[4]、昭和天皇・香淳皇后が下車。
- 1984年(昭和59年)2月24日:飯田線南部への列車集中制御装置 (CTC) 導入に伴い、無人駅化[1][5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR東海が継承[3]。
- 2022年(令和4年)5月31日:三河槙原 - 湯谷温泉間で落石があり翌月にかけて不通になった。この影響で当駅構内には213系が留置されたが、留置中に車両から方向幕等が盗まれる被害が生じた。JR東海から被害届を受けた新城警察署は、窃盗事件として捜査を行った[6]。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅である。ホーム番線は北側が1番線、南側が2番線である[7]。
駅舎は構内北側にあり、ホームとは構内踏切で繋がる。無人駅(駅員無配置駅)であり[1]、管理駅(駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[8]。トイレあり。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | CD 飯田線 | 下り | 中部天竜・飯田方面[9] |
2 | 上り | 豊橋方面[9] |
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ホーム(2009年7月)
- ^ a b c “「通報」●飯田線船町駅ほか13駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年2月23日)
- ^ 『鳳来町誌』交通史編、追補鉄道の発展113頁
- ^ a b c d 『停車場変遷大事典』2、100頁
- ^ 『鉄道ファン』1979年8月号、70-75頁。
- ^ “飯田線 全線CTCへ切替え”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1984年2月28日)
- ^ “人気車両から備品盗難、JR東海が被害認める”. j-cast (2022年6月9日). 2022年6月9日閲覧。
- ^ 『中部ライン全線・全駅・全配線』第4巻、pages=35頁(配線図)・74頁。方角は配線図と実際の地図との対照から補記。
- ^ 『東海旅客鉄道20年史』、732・733頁
- ^ a b 駅構内の案内表記。これらはJR東海公式サイト各駅の時刻表で参照可能(駅掲示用時刻表のPDFが使われているため。2015年1月現在)。
- ^ 『日本歴史地名大系』23、960-961頁
固有名詞の分類
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