リュック・ムレ リュック・ムレの概要

リュック・ムレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/14 01:11 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
Luc Moullet
リュック・ムレ
2008年、70歳のムレ
生年月日 (1937-10-14) 1937年10月14日(80歳)
出生地 フランス パリ
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー映画批評家
活動期間 1956年 -
活動内容 1956年 『カイエ・デュ・シネマ』批評家
1960年 短篇『焼け過ぎのステーキ』デビュー
1966年 長篇『ブリジットとブリジット』デビュー
著名な家族 パトリス・ムレ (弟)
主な作品
『ブリジットとブリジット』
『ビリー・ザ・キッドの冒険』

来歴・人物

1937年10月14日パリに生まれる。弟はジャン=リュック・ゴダール監督作『カラビニエ』(1963年)にミケランジュ役で出演した弟アルベール・ジュロス[1](その後、本名パトリス・ムレの名で活動し、短編および長編デビュー作以後の多くの作品に出演し、劇伴音楽の作曲をしている)。のちに1968年、パトリスと、同作でクレオパトル役のカトリーヌ・リベイロとともに、ロック・バンド「アルプス」を組んでいる。

カイエ・デュ・シネマ』誌の批評家としてデビューし(1956年)、そして1960年には最初の短編映画『焼け過ぎのステーキ』で演出家へと素早く転出した。2本の短編をつづけて撮り、1966年には初の長編映画『ブリジットとブリジット』を撮った。デビューから今日まで、ムレは30本の作品を撮り、かなりの数の短編を撮った。その全体が、笑いもバーレスクもなく切り取る、というひとつの特異な作品を構成している。

ムレは、その長編デビュー作『ブリジットとブリジット』がゴダールに「真に革命的な映画」と讃えられ、ジャン=マリー・ストローブには「ブニュエルタチの両方を継承する」とまで言われたヌーヴェルヴァーグの作家であるが、ただの1本たりとも日本で劇場公開されたものはない。『ブリジットとブリジット』『カップルの解剖学』等がホール上映される機会があったのみである。『ブリジットとブリジット』には、クロード・メルキジャン=ダニエル・ポレ『酔っぱらってりゃ…』(1957年)とおなじ「レオン」役で出演しており、クロード・シャブロルサミュエル・フラーエリック・ロメールら映画監督がそれぞれ役をもって出演している。『ビリー・ザ・キッドの冒険』はジャン=ピエール・レオ主演の西部劇であり、編集は『ママと娼婦』(1973年)の監督ジャン・ユスターシュであった。日本で本格的に紹介されるべき、知られざる作家のひとりである。

プロデューサーとして、マルグリット・デュラスの監督作『ナタリー・グランジェ』(1972年)などを製作した。

フィルモグラフィー


  1. ^ Albert Juross - インターネット・ムービー・データベース(英語)の記述による。遠山純生編・細川晋著『ヌーヴェル・ヴァーグの時代 1958‐1963』(エスクァイアマガジンジャパン、1999年4月、ISBN 4872950615)P.180によれば、ジュロスは「従弟」であり有名な数学者であるとのこと。


「リュック・ムレ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リュック・ムレ」の関連用語

リュック・ムレのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リュック・ムレのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリュック・ムレ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS