ユジノサハリンスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 10:58 UTC 版)
観光
公園
- レーニン広場(旧豊原駅前広場) - ユジノサハリンスク駅東口前にある公園施設(広さは200m✕100m)。1968年4月22日に現名称に命名[72]。噴水および(旧ソ連時代の巨匠彫刻家エフゲニー・ブチェティチ作品である)レーニン像や「ネフチェゴルスク地震を忘れぬ為の記念碑」(解説HP)の他、芝生や植樹が整備され、複数のベンチ椅子も配置される等、都心型公園の体裁を整えている。
- 広場内にある橋の欄干には、アベックが縁起を担いで施錠したと思われる鍵が多数、付けられている。解説HP
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レーニン広場(旧豊原駅前広場)
- ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園) - ユジノサハリンスク駅(旧豊原駅)より東北東方向1km程(中心部より500m程)先に立地。下記施設の他、キオスクや喫茶施設も設置。同公園内のスポーツ施設については、ユジノサハリンスク#スポーツ観戦施設、健康施設内の「ガガーリン記念文化公園(旧豊原市民公園)内スポーツ施設」項を参照の事(前身施設「旧御大典記念豊原市民公園」内に存在していたスポーツ施設以外の娯楽施設については、豊原市#公園内の「御大典記念豊原市民公園(現ガガーリン記念文化公園)」項を参照の事)。
- サハリン州立動物園 - アナグマ、鷲、ウサギ、ガチョウ、蛇、猿を飼育展示しているミニ動物園。
- 遊園地(旧「御大典記念豊原市民公園野球場」敷地) - パリのエッフェル塔を模したパステルカラー・イエロー塗装観覧車、ジェットコースターなど。解説HP、解説動画1、解説動画2(ロシア語)
- ゴーカート場
- 旧来より日本国内で多くみられる動物園併設型遊園地ではなく、上述「サハリン州立動物園」より直線距離で約250m離れた地点に立地。
- ムージカリヌィ・ファンターン(ロシア語表記:Музыкальный фонтан。「音楽噴水」のロシア語訳。旧「御大典記念豊原市民公園噴水」をカラーネオン照明化)
- ヴェルフニー湖(旧王子ヶ池貯水池) - ボート乗り場がある。旧王子製紙貯水池を観光化し、一般人に開放。
- 来園者専用駐車場(旧「御大典記念豊原市民公園遊び場型遊園地」跡地)
- ユジノサハリンスク子供鉄道(ロシア語表記:Южно-Сахалинская детская железная дорога) - 1954年(昭和29年)6月6日、運輸通信省南サハリン鉄道局により開設(現在の管轄は「ロシア鉄道極東鉄道支社」)。総延長2.2kmで軌間は750mm。同公園内を周回するパークトレインとして(毎年月・火曜日を除く)5月1日から10月30日まで運行され、20校の児童約200人が3人の指導員の指導を受けて同パークトレイン鉄道の運営にあたり、次代のロシア鉄道員育成機関の役目も担っている。解説HP1、解説HP2
- ユジノサハリンスク子供鉄道学校 校舎(旧「御大典記念豊原市民公園遊び場型遊園地」跡地)
- 2010年代中頃まで園内に「サハリン生息クマ博物館(初代)」もあったが、前述の大型ショッピング・モール「シーチ・モルル」内へ移転している。詳細については、ユジノサハリンスク#ミュージアム、演劇場、映画館内の「サハリーンスキー・ムゼーイ・メドヴェージャ(「サハリン生息クマ博物館」ロシア語訳。二代目)」項を参照の事。
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「ガガーリン記念文化公園」内「サハリン州立動物園」(旧「御大典記念豊原市民公園」内「緑地」跡地)で飼われているアルパカ
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「ガガーリン記念文化公園」内「遊園地」(旧「御大典記念豊原市民公園」内「野球場」跡地)
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「ガガーリン記念文化公園」内「ヴェルフニー湖」(旧「御大典記念豊原市民公園」近隣の旧「王子ヶ池貯水池」)
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「ガガーリン記念文化公園」内「ヴェルフニー湖」(旧「御大典記念豊原市民公園」近隣の旧「王子ヶ池貯水池」)および「メガパレス・ホテル」
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ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園)内を周回運行中のユジノサハリンスク子供鉄道ТУ10形子供鉄道向けディーゼル機関車ТУ10-005
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ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園)内を周回運行中のユジノサハリンスク子供鉄道ТУ10形子供鉄道向けディーゼル機関車ТУ10-005
- 旭川公園 - 姉妹都市として提携している北海道旭川市に因み命名。レーニナ通り(旧豊原大通り)沿い(駅東口より南方向)の東方向裏手通りに立地。グーグル・ストリートビュー画像 北東角、南西角、南東角、北西角
- クルゼンシュテルナ公園 - サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)沿い(旧私立藤川実践女学校跡地)に立地。1906年7月にサハリン島北端および千島列島を探検(解説HP)したロシア海軍提督アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンを記念に造られた。(グーグル・ストリートビュー画像)
- G.I.ニェヴェリスコーガ広場(ロシア語表記:Сквер им. Г. И. Невельского) - ロシア・サハリン州都ユジノサハリンスク市にある公園。ロシア帝国の著名な航海者・探検家であり、ネヴェリスコイ海峡の発見および同海峡にて船舶通航が可能である事を究明したゲンナジー・ネヴェリスコイを顕彰して命名。ミーラ大通り(旧東七条通り)沿い(北端:ロガトカ川(旧玉川)との交差地点、南端:サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)との交差地点)東側区画に整備された都市型公園であり、約40m☓約60m程の広さで在りながら、公園北端に繋がっているロガトカ川(旧玉川)河畔緑地部分との景観上での一体感により、やや大きめに見える。グーグル・ストリートビュー画像
- 映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」手前公園 - 解説HP
- 栄光広場(旧官幣大社樺太神社鳥居前広場) - ミュージアム施設「軍事技術博物館」が建っている。スケートボードに興ずる青少年が多く集まる。(グーグル・ストリートビュー画像)
- 勝利広場(旧旭ヶ丘公園(その前は豊原競馬場(初代))) - 「V.I.記念広場」とも呼称。1975年5月6日に現名称に命名[72]。サッカー競技場「スパルタク・スタジアム」やロシア正教会「キリスト降誕聖堂」、その他、ミュージアム施設「マヤ・イストーリア博物館」「パピェーダ博物館」が建っている。
- プーシキン公園 - ロシアを代表する巨匠作家の一人「アレクサンドル・プーシキン」を記念して名付けられた。レーニナ通り(旧豊原大通り)およびパビェードゥイ大通り(旧南10丁目通り)が交差する角地(南東区画)に立地する都市型公園。前述の「公衆浴場ガラツキエ・バーニ」(パペードゥイ大通り(旧南10丁目通り)を間に挟み)南方向向かい。(グーグル・ストリートビュー画像)
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プーシキン公園およびパペードゥイ大通り(旧南10丁目通り)
- タモージェンニカフ広場(ロシア語表記:Сквер Таможенников、「税関職員広場」のロシア語訳) - ミーラ大通り(旧東7条通り)とパビェードゥイ大通り(旧南10丁目通り)の交差角地(南西区画。同じくパビェードゥイ大通り(旧南10丁目通り)沿い(南側)に立地している前述「プーシキン公園」より東方向に約650m地点)に立地。2019年10月25日(税関の日)、旧ソ連時代の人気映画作品(バイコヌール宇宙基地から宇宙へ出発する宇宙飛行士が験担ぎ風の儀式として必ず視聴させられる映画作品)「砂漠の白い太陽」にも主要登場人物の一人として登場している帝政ロシア時代の税関幹部職員「パーヴェル・ヴェレシチャーギン」(実在する人物だが、映画内容自体はフィクション作品)および同僚「ペトールカ」二人の彫像を「税関職員」の模範(実在の人物が賄賂に興味を示さず、職務遂行の末に殉職)として設置(ユジノサハリンスク市だけではなく、ロシア中の複数都市に同時設置。モスクワ州ジューコフスキー市にて彫刻家アレクサンダー・ウスチェンコ氏が制作[74])。(グーグル・ストリートビュー画像)
- ゴールヌィ・ヴォーズドゥフ展望台(旧旭ヶ丘展望台) - ロシア語で「山の空気」を意味する名が付いている。近年、麓が観光経済特区に指定されている。
ミュージアム、演劇場、映画館
- サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館(サハリーンスキー・アブラースナイ・クラィエヴエチェスキー) - 1931年(昭和6年)、旧「樺太庁博物館」建物(三代目)として貝塚良雄により設計・建築。かつて前州都「アレクサンドロフスク・サハリンスキー」にあった歴史博物館機能および陳列品も吸収統合している。1990年には同館内にあったチェーホフ・コーナーが(同じ市内にある「チェーホフ『サハリン島』記念館」にではなく)逆にアレクサンドロフスク・サハリンスキーにあるチェーホフ記念施設へ移設されている。1950年代後半には、横綱大鵬(出生当時のロシア名は「イヴァーン・ボリシコ」)の実父であるウクライナ系残留ロシア人マルキャン・ボリシコも守衛を勤めていた事がある。解説HP
- 庭 - 九五式軽戦車が野外展示されている。
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帝冠様式が特徴のサハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館(旧樺太庁博物館(三代目)前景)
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サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館(旧樺太庁博物館(三代目))正面入り口玄関
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サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館(旧樺太庁博物館(三代目))内の展示物の一つ
- サハリン州立美術館 - 前述のレーニン広場東縁沿いを南北に伸びるレーニナ通り(旧豊原大通り)沿いに立地する旧北海道拓殖銀行豊原支店建物(新古典主義建築)建物を流用。収蔵点数は約1万4000点を誇る。解説HP、グーグル・ストリートビュー画像
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サハリン州立美術館(旧北海道拓殖銀行 豊原支店)
- 主なフロア構成は下記の通り[75]。
階 | フロア概要 |
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2F | 常設展示ホール(イコン画などのキリスト教美術、ロシア美術(19世紀後半〜20世紀初頭)、北方少数民族の生活用品・工芸品、韓国美術) |
1F | 大ホール(巡回展示ホール) |
- サハリーンスキー・ムゼーイ・メドヴェージャ(「サハリン生息クマ博物館」ロシア語訳。二代目) - 後述の大型ショッピングモール「シーチモルル」5Fに入居。サハリーンスキー・ムゼーイ・メドヴェージャ(二代目)公式HP(ロシア語表記。Internet ARChive保管版)、解説HP、店内グーグル・ストリートビュー画像)」
- 旧サハリーンスキー・ムゼーイ・メドヴェージャ(初代。別名「ナターリア・キリューキナ・クマ博物館」とも呼称されていた) - 2007年、ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園)内に立地(旧「サハリーンスキー・ムゼーイ・メドヴェージャ(初代)」立地位置および土台だけ残存している跡地風景画像(Googleマップ))。年間約3,000人が来館。木造二階建てで、トイレおよび水道は無し。主に18世紀以降からの「ロシアの生活・文化・歴史・芸術」関連展示物、その他、日本アイヌ民族博物館より寄贈された木彫り熊などの民芸品も展示されていた。(近隣都市である)コルサコフ市(大泊市)小学校の遠足コース・プログラムの一環としてロシア民芸品である「スプーン・イースターエッグ絵塗り」「皿・粘土玩具・白樺樹皮製品の制作」のワークショップ教室なども開催されていた。2013年12月25日時点では翌年2014年内での閉館の可能性がナターリア・キリューキナ館長(「ロシア芸術家連盟」サハリン地方支部理事も兼任)により声明され[76]、2015年5月23日時点では財政面での施設経営が逼迫しており、借地である敷地の月額使用料3万ルーブルの5万ルーブルへの値上がり通告を受け、市当局より同公園敷地内に建つエレクトロンビルへの移転提案もされていた。「当時の先代施設(建物画像閲覧可能)運営の窮乏解説HP(ロシア語表記(推奨:日本語自動翻訳切り替えでの閲覧))、グーグル・ストリート・ビューに残っている建物取り壊し前(移転後、窓枠塗装色が赤色から白色に変更され、別用途施設に再利用されている)の「旧サハリーンスキー・ムゼーイ・メドヴェージャ(初代)」画像
- 勝利広場(旧旭ヶ丘公園(その前は豊原競馬場(初代)))内
- サハリン鉄道歴史博物館 - ユジノサハリンスク駅およびホテルユーラシア北隣りに立地。機関車が動体保存展示。解説HP、グーグル・ストリートビュー画像
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サハリン鉄道歴史博物館にて動体展示されているD51機関車
- 栄光広場(旧官幣大社樺太神社鳥居前広場)内
- 軍事技術博物館
- 地質博物館
- ウチェーブヌィ・ムゼーイ・アルヒェオーラギー・サーフ GU(ロシア語表記:Учебный музей археологии СахГУ。「サハリン州立大学附属考古学教育博物館」のロシア語訳) - パグラニーシュナヤ通り(旧南12丁目通り)へのクリューカヴァ通り(旧西1条通り)T字路沿い東区画に立地。グーグル・ストリートビュー画像
- サフィンツェントル本館(もしくは「サヒンセンター」「貿易センタービル」) - コンベンション・センター施設も兼ねたサハリン州所有の7階建て巨大ビル。海外観光客向けの物産土産物販売コーナーも附設。2005年には、前庭にてTHE BOOMが野外コンサートを開催。
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サフィンツェントル本館
- チェーホフ・センター - ロシアの劇作家・短編小説家「アントン・チェーホフ」を偲び、記念に建造された屋内文化施設群。中心部をユジノサハリンスク駅よりガガーリン記念文化公園手前まで東西を横断するカムニスチーチェスキー通り(旧神社通り)とカムサモーリスカヤー通り(旧東11条通り)が交差する角地に立地。現在は全ての世代の市民・観光客に門戸が開かれた文化娯楽施設集積地区だが、かつて旧ソ連時代においては(アントン・チェーホフ記念施設以外は)ピオネールなど完全選抜制の共産党青少年組織向け施設群や共産党員専用ホテル「ラーダ」(現インターナショナル・ビジネスセンター・ホテル。解説HP)が立地していた。
- チェーホフ『サハリン島』記念館(もしくは「チェーホフ・ミュージアム) - 解説HP
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チェーホフ『サハリン島』記念館
- A.P.チェホフ記念サハリン国際ドラマ劇場 - 旧樺太庁豊原高等女学校(建物は現存せず)跡地(敷地の西端一部分。残りの中央以東部分は、「ミーラ通り」として南方向に大きく延長された旧東7条通りにより東隣りの別区画として分断された)に立地。
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A.P.チェホフ記念サハリン国際ドラマ劇場(旧樺太庁豊原高等女学校跡地(西端部分)に立地)
- 児童と若者用劇場
- コンサートホール「カプリチオ(「狂想曲」「奇想曲」ロシア語訳)」
- 児童館施設チルドレンズ・クリエイティビティ・パレス児童演劇場 - かつては旧ソ連時代の「ピオネール宮殿ユジノサハリンスク支部」建物を2000年より映画館プリミエル(「主役」ロシア語訳)として運営していたが、現在は再び児童館施設に戻されている。
- カムサモーリェッツ映画館 - 前述のレーニナ通り(旧豊原大通り)および(前述のカムニスチーチェスキー通り(旧神社通り)に北方向に四区画置いて並行し、東西に伸びる)サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)が交差する角地(後述のサハリンデパート北方向向かい)に立地するロシア語吹替専門映画館。旧ソ連時代は共産党青年組織「コムソモール」施設「若者文化センター・カムサモール」。ミーラ通り(旧東7条通り)沿いに立地する「スーパー・カムサモーリェツ」との関連は不明(調査中)。
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カムサモーリェッツ映画館 館内
- 映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー(「10月の映画館」ロシア語訳)」 - 北海道新聞社旧樺太支社(同支社閉鎖から47年後の1992年、ミーラ大通り(旧東7条通り)沿いにユジノサハリンスク支局、開局)跡地に立地。隔年1月下旬にて、「日本映画祭 in サハリン」が在ユジノサハリンスク日本総領事館主催で開催される。旧ソ連時代は共産党少年組織ピオネールの下位組織「オクチャブリャータ」施設。グーグル・ストリートビュー画像(映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」北側入口)、グーグル・ストリートビュー画像(映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」南側入口)
- 人形劇専用劇場「奇跡の島」 - 前述の「映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」裏手に立地。
- 他の市内映画館としては、後述の大型ショッピングモール「シティモール」3Fフロア内映画館、前述の複合型商業施設パナラーマホテル映画館がある。
スポーツ観戦施設、健康施設
- 州立大型温水プール施設「アクヴァ・シーチ」(もしくは「アクア・シティ」。ロシア語表記「АКВА СИТИ」) - 2018年9月、市内中心部より南方へ約4km離れたミーラ大通り(旧東7条通り)沿いにて開業。東南アジア・リゾート風の装飾が施されている。アクヴァ・シーチ公式HP(ロシア語)、CG動画、グーグル・マップ
- 移動テントサーカス - 前述の復活主教座聖堂の隣接地にて夏季期間のみ開催。
- ガガーリン記念文化公園(旧豊原市民公園)内スポーツ施設 - スポーツ施設以外の娯楽施設等については、ユジノサハリンスク#公園内の「ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園)」項を参照の事。
- スキー場(旧「緑ケ岡スキー場」もしくは旧「スキーヶ丘」もしくは旧「銅像山」[77]。「ガラー・パルコーヴァヤ(ロシア語表記:Гора Парковая。「(ガガーリン)公園の山」のロシア語訳)」とも呼称) - ジャンプ台が2基設置されている。(旧豊原市時代より現在に至る迄)難易度は初心者および子供向けとされている。
- ソ連時代での冬季期間、毎週週末に市民参加によるアマチュア・スキー大会が行われ、市内へラジオ実況放送された他、成績優秀な参加者にステレオなどの家電製品などを景品として振る舞われた。
- 屋外競技場コスモス・スタジアム(旧御大典記念豊原市民公園陸上トラック競技場)
- かつては屋外競技場ユーノス・スタジアムも存在していた。
- アスレチック施設
- 旧「御大典記念豊原市民公園」に存在していた屋外プール(石垣および木製飛び込み台)[78]については、2015年時点では草むらに覆われて放置されている事が「第50回 サハリン平和の船」参加者による目撃レポートで確認されている[79]。更に近年撮影されているグーグルマップ空撮画像においても、朽ち果てたコンクリート製プール底らしき長方形の建造物が目視確認出来る(該当画像(グーグルマップ))。
- 旧「御大典記念豊原市民公園」に存在していた自由運動場は解体され緑地化。同じくかつて存在していたテニスコートについても解体され、跡地の南西部分はガガーリン・ホテルが建築、残りは緑地化された。
- スキー場(旧「緑ケ岡スキー場」もしくは旧「スキーヶ丘」もしくは旧「銅像山」[77]。「ガラー・パルコーヴァヤ(ロシア語表記:Гора Парковая。「(ガガーリン)公園の山」のロシア語訳)」とも呼称) - ジャンプ台が2基設置されている。(旧豊原市時代より現在に至る迄)難易度は初心者および子供向けとされている。
- 観光経済特区「ゴールヌィ・ヴォーズドゥフ」内施設 - 主にルスツ・リゾートと提携。
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ゴールヌィ・ヴォーズドゥフ・スキー場(旧旭ヶ丘綜合スキー場)
- ほのかユジノサハリンスク支店 - 北海道大手のスーパー銭湯チェーン「丸新岩寺」および同社ロシア現地法人「ほのかサハリン」による合弁経営。ゴールヌィ・ヴォーズドゥフ展望台(旧旭ヶ丘展望台)麓に置かれた観光経済特区にて2018年に開業。解説HP1
- オリンピア・キャンプ場 - アニワ地区(中心部より南へ約9km付近)に立地。旧ソ連時代、ピオネール専用施設として建設・運営。
- 勝利広場(旧旭ヶ丘公園(その前は豊原競馬場(初代)))内スポーツ施設
- 屋外サッカー競技場スパルタク・スタジアム - 1969年~1993年および2004年以降、FCサハリン・ユジノサハリンスクのホームスタジアムとなっている。グーグル・ストリートビュー画像
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屋外サッカー場スパルタク・スタジアム
- 多目的屋内型スポーツ施設アイスパレスクリスタル - アイスホッケークラブ「PSKサハリン」のホームリンクとしてだけでなく、同名のバスケットボールチームおよび女子バレーボールチームのホームスタジアムとしても氷を張らずに兼用されている。収容可能人数は約1,100人。後述の大型ショッピングモール「スタリッツァ」近隣に立地。氷を貼らずに屋内運動場としても利用可能。解説HP、グーグル・ストリートビュー画像
- 屋内スケート場アレナ・シチ - 青少年アイスホッケークラブ「サハリンスキー・アークルィ」のホームリンクとなっている。後述の大型ショッピングモール「シティモール」北西近隣地に立地。グーグル・ストリートビュー画像
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屋内スケート場アレナ・シチ
- 屋内体育館「ヴァストーチナヤー・ギームナジーヤー」(「Восточная Гимназия」。ロシア語で「東部体育館」) - 旧樺太公立豊原第三国民学校。グーグル・ストリートビュー画像
- 屋内体育館「ギームナジーヤー No.2」(「Гимназия №2」。ロシア語で「第二体育館」) - 旧樺太公立豊原第二国民学校。グーグル・ストリートビュー画像
- 屋内卓球場「フェデラツィヤ・ナストリノヴォ・テンニサ・サハリンスコイ・オーブラスチ」(「Федерация Настольного Тенниса Сахалинской Области」。「サハリン州卓球連盟」のロシア語訳) - アルタイスキー・ペレウロク通り(ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園)と栄光広場(旧官幣大社樺太神社鳥居前広場)の境界線道路)沿いに立地。グーグル・ストリートビュー画像
- シーチモルル(シティーモール)内併設ボウリング場
- かつて2000年に、サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)157番地(同通り西方とススヤ川(旧鈴谷川)交差地点にある橋の西側)にもボーリング場(旧豊原市時代に造られ操業していた工場建物を改装し再活用)が開店したが後に閉店。現在は大型家具店「アーズプカ」(「Азбука мебели」。和訳すると「ロシア語アルファベット家具」)となっている。グーグル・ストリートビュー画像
- 日本式健康ランド - エミェリヤーナヴァ通り(旧南13丁目通り)に立地(隣にホテルパナラーマ)。施設名の通り、日本にある健康ランドやスーパー銭湯を参考にしている。解説HP
- 複合レジャー施設「ホリデー・パレス」 - 前述のレーニナ通り(旧豊原大通り)に東方向に一区画置いて並行し、南北に伸びるドゥジェルジーンスカヴァ通り(旧東5条通り(ユジノサハリンスク駅(旧豊原駅)線路以東))沿いに立地する健康サウナ施設。カジノ、ゲームセンターも併設。グーグル・ストリートビュー画像
- 公衆浴場ガラツキエ・バーニ - パビェードゥィ大通り(旧南10丁目通り)沿いに立地するロシア式サウナ(バーニャ)。曜日別に男女利用者を振り分けて営業。解説HP、グーグル・ストリートビュー画像(撮影当時は改装工事により休業中)
- シネゴールスキエ・ミネラーリヌィエ・ヴォードゥイ(ロシア語表記「Синегорские Минеральные Воды」。旧ソビエト時代の施設名称は「シネゴルスク・サナトリウム」。旧「川上温泉」) - 中心部より北西約50km先に立地。最寄り駅はシネゴルスク線(旧国鉄川上線)クリューチ駅(旧国鉄本川上駅)。1969年(昭和44年)~1981年の期間を経て旧ソ連により洋風施設化された。現在は予約さえしていれば外国人旅行者も含め誰でも利用可能(同じく予約が必要だが、日帰り利用も可能)。屋内熱帯植物園なども併設。シネゴールスキエ・ミネラーリヌィエ・ヴォードゥイ公式HP、解説HP1、解説HP2、グーグル・マップ
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シネゴルスク・サナトリウム(旧川上温泉)付近の泥火山
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