シャルル・ド・モンテスキュー シャルル・ド・モンテスキューの概要

シャルル・ド・モンテスキュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 05:34 UTC 版)

シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー
Charles-Louis de Montesquieu
モンテスキューの肖像
生誕 (1689-01-18) 1689年1月18日
フランス王国アキテーヌ、ラ・ブレード城
死没 (1755-02-10) 1755年2月10日(66歳没)
フランス王国パリ
時代 18世紀の哲学
地域 西洋哲学
学派 啓蒙思想
研究分野 倫理学
法哲学
政治哲学
社会哲学
歴史哲学
主な概念 権力分立(三権分立)、立法司法行政
classification of systems of government based on their principles
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生涯

フランス南西部にあるボルドー近郊で生まれた。彼が7歳の時、母が逝去。母の遺産を継承し、ラ・ブレード男爵となる。ボルドー大学法学部卒業後、1709年からパリに遊学。1713年末、父の訃報により帰郷する。翌年、25歳でボルドー高等法院の参事官となる。1716年、伯父の死により、モンテスキュー男爵の爵位とボルドー高等法院副院長の官職を継承する。しかし、実務面には無関心で、1721年には、匿名で『ペルシア人の手紙』を出版。この作品は2人のペルシア人イスラム教徒がフランスを訪れ、本国の知人へ手紙でフランスの風俗や出来事を紹介するという体裁を取った風刺作品で、大きな反響を呼んだ[2]1726年、37歳で、ボルドー高等法院副院長の官職を辞職。以後、学究生活に入る。1728年1月、アカデミー・フランセーズの会員に選出された直後、4月から諸国遍歴の旅に出る。モンテスキュー自身の旅行記によればウィーン、ハンガリー、イタリア諸都市に滞在し、さらにドイツ諸都市、アムステルダムを経由してイギリスに渡っている[3]1731年に祖国であるフランスに帰国。1734年、『ローマ人盛衰原因論』を出版。1748年、匿名で『法の精神』を出版。大量の偽版が出るほどの好評を博したが、ローマ教皇庁やソルボンヌ神学部などの教会関係者からの批判も招き、カトリック教会から禁書目録指定を受けた[4]

イギリスの政治に影響を受け、フランス絶対王政を批判し、均衡と抑制による権力分立制の基礎を築いた。なお、イギリス滞在の間にフリーメイソンとなった。

とは、「事物の本性に由来する必然的な関係」であると定義し、政治権力を分割しない統治形態による法からは、政治的自由が保障されないと考え、執筆に20年かけたと言われる自身の著作『法の精神』の中で、政治権力を立法行政司法に三分割する「分立論」(「分立論」)を提唱した。

晩年は、視力の減退に悩まされた。そんな中、著作『百科全書』の為に「趣味論」の執筆に取り組んだが、完成することは無く1755年2月10日パリで逝去した。

評価

社会学の父と考えられている。保守主義であった[5]

『ペルシア人の手紙』の一節では、非キリスト教国の出生率の高さを離婚を許容している為とし、また、「夫婦相互の愛情に何よりも寄与するのは離婚の可能性である」と論述した箇所がある(女性の離婚権のみを主張) [6]

彼の肖像は旧フランス・フランの200フラン紙幣に描かれたことがあった。


  1. ^ "モンテスキュー". ブリタニカ国際大百科事典. コトバンクより2023年1月17日閲覧
  2. ^ 安武真隆「モンテスキューの生涯と著作」『法の精神』、モンテスキュー、中央公論社、2016年、10-11頁。
  3. ^ 安武真隆「モンテスキューの生涯と著作」『法の精神』、モンテスキュー、中央公論社、2016年、12-13頁。
  4. ^ 安武真隆「モンテスキューの生涯と著作」『法の精神』、モンテスキュー、中央公論社、2016年、21頁。
  5. ^ 「モンテスキューの作品における法と正義―法制史と法理論の交差する読解」ジャン=ルイ・アルペラン、法政論集 247号(2012)
  6. ^ Montesquieu (1721) (フランス語). Lettres Persanes. pp. Lettre CXVI  Cf. Roderick Phillips (1991) (英語). Untying the Knot: A Short History of Divorce. Cambridge University Press. pp. pp. 57 - 58. ISBN 9780521423700 


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