アワ
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文化
ことわざ
喩えとしての表現
小さいものの喩え・表現として、「粟」の字を用いる場合がみられる。『平家物語』(高野本)では、日本自体を「さすが我朝は粟散(ぞくさん)辺地の境」と記し、『太平記』でも、「いわんや粟散国の主として、この大内を造られたる事」とし、自国が中国やインドなどの大国と比べて、アワ粒を散らしたような小国である(中華思想とは逆の辺境国)と自覚して記述している例がある。軍記物以外にも神道書『神道集』「諏訪縁起の事(甲賀三郎)」においても、神武以来~とした上で同様の表現が見られる。
家紋
「粟紋」が見られる(「家紋の一覧」を参照)。
脚注
参考文献
- 林弘子『穀物をもっと楽しもう』晶文社、1998年6月30日。ISBN 4-7949-6358-0。
外部リンク
注釈
- ^ 古くは、実の大きさによっておおアワ(粱)とこアワ(粟)の区別が存在したが、今日ではおおアワが栽培種のほとんどを占めており、これを指して「粟」と表記することが一般的である。
- ^ 中国後漢の許慎が著した漢字の解説書『説文解字』において、「米…粟實也。象禾實之形」(禾=アワ)と書かれ、米即ちアワの実であると解説されている。
- ^ 中国北魏の賈思勰が著した農書『斉民要術』(巻1「種穀」第3:原注)において、「穀、稷也、名粟。穀者、五穀之總名、非指謂粟也。然今人專以稷爲穀、望俗名之耳」と書かれ、穀とは五穀の総称であって、稷(=アワ)を指すのは正しくないが、世間(北魏統治下の華北)では主食であるアワ(稷)のことを穀と称していると記している。
- ^ 稲米は、長江から入ってきた蛮夷の穀物と見なし、「雑穀」のように扱う風潮が、知識人を中心に長く続いた。米が華北・中原においても主食とされるようになるのは、唐代以後といわれている。
- ^ 霊亀元年(715年)10月7日の陸田(畑作)奨励の詔には、畑作作物としてアワが奨励作物の筆頭として奨励されている。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l 林弘子 1998, p. 96.
- ^ a b c d e f g 平 宏和『雑穀のポートレート』錦房、2017年、3頁。
- ^ 林弘子 1998, p. 96–97.
- ^ 国分牧衛『新訂 食用作物』養賢堂、2010年8月10日 第1版、270頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 林弘子 1998, p. 97.
- ^ http://inews.nmgnews.com.cn/system/2022/11/15/013374089.shtml
- ^ 古賀登『両税法成立史の研究』雄山閣、2012年、235・523頁。
- ^ 林弘子 1998, pp. 97–98.
- ^ 文部科学省、「日本食品標準成分表2015年版(七訂)」
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