アワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 10:21 UTC 版)
アワ | |||||||||||||||||||||
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アワ
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分類 | |||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||
Setaria italica P. Beauv. | |||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||
アワ(粟) | |||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||
foxtail millet、bengal grass |
特徴
アジア原産。祖先野生種の分布がユーラシア大陸に広がっていることから起源地の推測は難しく[1]、アフガニスタンおよびパキスタン西北部のアワが原始的な特徴を保存している系統であることから、中央アジアからアフガニスタン、インド亜大陸北西部あたりを原産地とする説が有力視されている[2][3]。
草丈は150センチメートル前後[1]。穂は黄色に熟し、たれさがる。寒冷地の春アワと、温暖地の夏アワに生態が分かれている[1]。温暖で乾燥した風土を好み、生育期間が3 - 5ヶ月と短いために、高地や高緯度地域でも栽培することができる。栽培地域は広いが、多湿を嫌う[1]。
祖先野生種は、エノコログサを原種とするといわれ[2][1]、エノコログサとの交雑もよくおこる[4]。体細胞染色体数は2n=18の二倍体であり[1]、C4植物でもある。
一般に5月から6月頃に種をまき、9月下旬から10月頃が収穫の時期である[5]。品種の細分化が進んでいるため、耕作地に適した種子と栽培法が必要となる[5]。求肥性が強く連作を嫌うため、豆類、根菜類との輪作や、麦の間作や後作などによって、連作障害が避けられている[5]。
種類
アワには大穂種(大アワ)と小穂種(小アワ)がある[2]。また、ウルチ種(ウル、粳)とモチ種(モチ、糯)がある[2][1]。また、収穫の時期から夏アワ、秋アワなどの品種に分けられる[注釈 1]。穂型では、円筒型、棍棒型、円錐型、猿手型、猫足型などに分類される[2]。
穀粒の色分け区分としては、橙アワ、黄アワ、赤アワ、灰アワ、黒アワ、白アワがあり、中でも白アワが多いとみられている[1]。
注釈
- ^ 古くは、実の大きさによっておおアワ(粱)とこアワ(粟)の区別が存在したが、今日ではおおアワが栽培種のほとんどを占めており、これを指して「粟」と表記することが一般的である。
- ^ 中国後漢の許慎が著した漢字の解説書『説文解字』において、「米…粟實也。象禾實之形」(禾=アワ)と書かれ、米即ちアワの実であると解説されている。
- ^ 中国北魏の賈思勰が著した農書『斉民要術』(巻1「種穀」第3:原注)において、「穀、稷也、名粟。穀者、五穀之總名、非指謂粟也。然今人專以稷爲穀、望俗名之耳」と書かれ、穀とは五穀の総称であって、稷(=アワ)を指すのは正しくないが、世間(北魏統治下の華北)では主食であるアワ(稷)のことを穀と称していると記している。
- ^ 稲米は、長江から入ってきた蛮夷の穀物と見なし、「雑穀」のように扱う風潮が、知識人を中心に長く続いた。米が華北・中原においても主食とされるようになるのは、唐代以後といわれている。
- ^ 霊亀元年(715年)10月7日の陸田(畑作)奨励の詔には、畑作作物としてアワが奨励作物の筆頭として奨励されている。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l 林弘子 1998, p. 96.
- ^ a b c d e f g 平 宏和『雑穀のポートレート』錦房、2017年、3頁。
- ^ 林弘子 1998, p. 96–97.
- ^ 国分牧衛『新訂 食用作物』養賢堂、2010年8月10日 第1版、270頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 林弘子 1998, p. 97.
- ^ http://inews.nmgnews.com.cn/system/2022/11/15/013374089.shtml
- ^ 古賀登『両税法成立史の研究』雄山閣、2012年、235・523頁。
- ^ 林弘子 1998, pp. 97–98.
- ^ 文部科学省、「日本食品標準成分表2015年版(七訂)」
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