ゆうきまさみ 来歴

ゆうきまさみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 00:27 UTC 版)

来歴

生い立ち

1957年(昭和32年)に北海道札幌市で生まれる。幼少期を東京都中野区千葉県で過ごす。小学生の時に7歳年上の従兄がノートに漫画を描くのに影響を受け、石森章太郎の『マンガ家入門』で描き方を憶えて漫画を描きはじめる[9][10]

中学生の時に母親の故郷の北海道虻田郡倶知安町に移り、高校卒業まで過ごす[11]。ちなみに、『究極超人あ〜る』の「生き霊少女」のエピソードは、高校時代の体験に基づいているという[3]

デビュー前

1975年(昭和50年)に高校を卒業し、上京して就職する[10]

1977年(昭和52年)の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開前後より、アニメや漫画の愛好者達の集い場となっていた江古田のまんが画廊に通うようになる[10]。ここで『パロディ宇宙戦艦ヤマト』(水谷潤)という有名な同人誌を見て触発されて自身もパロディ要素を含んだ漫画を執筆し、これが仲間達から好評を得て執筆を続けるようになる[10]

また、川村万梨阿とまとあきらとともに、架空のアニメの設定などをでっち上げる「企画ごっこ」という遊びを始め、これが後の『機動警察パトレイバー』へと繋がって行く[12]

アニメ誌でのデビュー

まんが画廊でみのり書房パロディ漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む[13]。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「ざ・ライバル」が『月刊OUT1980年(昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする[13]。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目[注 1]だけであった[14]

その後も、同誌でコンスタントにアニパロ(アニメのパロディ)読切の発表を続け、1980年12月号から開始した「ど貴族物語」[注 2]が初の連載作品となる。当初はプロの漫画家になるつもりはなく[7]、サラリーマンを本業として続けながらの活動であった[13]

活動の場をラポートの『アニメック』やOUTの増刊として始まった『アニパロコミックス[注 3]』と増やし、新谷かおるの元でのアシスタントを行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業が疎かになっていく[13]。そして勤務年数が退職金が出る年数に届き退職しても当面の生活には困らなくなったこともあり、勤務態度を注意されたことを機として6年勤めた会社を1982年(昭和57年)に退職[8][13]

同年には『アニメック』でアニパロではないオリジナル作品「マジカル ルシィ」を、翌年には『アニパロコミックス』と『月刊OUT』を跨ぐ形で古事記ヤマトタケルノミコト説話を漫画化した[15]「ヤマトタケルの冒険」の連載をそれぞれ始める。

パトレイバーの企画が頓挫

1982年ごろに出渕裕と知り合ったゆうきは意気投合して「企画ごっこ」のノートを見せ、これを気に入った出渕は構成として火浦功を加え『機動警察パトレイバー』として実際にアニメ化することを目指す[16]。制作プロダクションへと企画を持ち込むが受け入れられず頓挫し、多忙となった火浦は企画から撤退する[16]

1983年(昭和58年)の『時をかける少女』の公開により、ゆうきの周りでは原田知世ブームが起こる[17]出渕裕火浦功美樹本晴彦かがみあきらとり・みき河森正治・米田裕といった面々が原田について熱く語る日々を過ごし[17]、エッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。ゆうきも『OUT』で連載したパロディ作品「時をかける学園(ねらわれたしょうじょ)[注 4]」などいくつかの漫画で原田を取り上げた[18]他、原田に近づく機会が得られるかもしれないとの理由から角川書店のアニメ雑誌『月刊ニュータイプ』での連載を受諾している[19][注 5]

1985年(昭和60年)の同誌創刊号から連載を開始したエッセイ漫画「ゆうきまさみのはてしない物語」は四半世紀以上を経た2016年現在においても続いており、同誌最長の長寿連載となっている。

少年サンデー時代

究極超人あ〜る
星雲児[注 6]」で『週刊少年サンデー』に出入りするようになった出渕裕の紹介でサンデー編集部とのコネクションを持ち、1984年(昭和59年)の同誌25周年増刊号に「きまぐれサイキック」が掲載されサンデーでの活動が始まる[20]。同年に、本誌で「♡LY BLOOD」の短期集中連載を行う。
さらに月刊で発行されていた『週刊少年サンデー増刊号』で「鉄腕バーディー」(オリジナル版)の連載を開始する[20]。しかし、当時の担当が週刊でやることを推したため、増刊での「バーディー」の連載を中断し、1985年(昭和60年)より本誌で「究極超人あ〜る」の連載を開始[20]。以降、同誌はゆうきの主戦場となり、2002年(平成14年)までの17年間に渡って作品を掲載することとなる。
機動警察パトレイバー
1986年(昭和61年)には新たに脚本家の伊藤和典と当時伊藤の妻であったキャラクターデザイナー高田明美を加えて『機動警察パトレイバー』の計画を練り直し、バンダイOVA化を取り付ける[21]1988年(昭和63年)には『少年サンデー』での漫画版の連載とOVAの発売が始まり[21]、翌1989年(平成元年)には映画化・テレビアニメ化も達成し、デビュー前の構想が元となった企画が実現された。「パトレイバー」連載開始の同年には前年連載が終了した「あ〜る」で第19回星雲賞マンガ部門を、翌年には連載中の「パトレイバー」で第36回小学館漫画賞少年部門を受賞する。
じゃじゃ馬グルーミン★UP!
1994年(平成6年)には6年続いた「パトレイバー」を完結させ、担当から提示された題材を元に「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」の連載を『少年サンデー』で開始[22]。同作も連載期間が6年に渡る長期連載となり、単行本では全26巻のタイトルとなっている[注 7]。また「じゃじゃ馬」と並行して、1995年(平成7年)からは『月刊少年キャプテン』(徳間書店)で「土曜ワイド殺人事件」(とり・みきとの共作)、2000年(平成12年)からは『AICコミックLOVE』(AIC)で「マリアナ伝説」(田丸浩史との共作)の連載を開始している。両作は掲載誌を移りながらも連載が継続され、2004年(平成16年)と2005年(平成17年)にそれぞれ完結している。
パンゲアの娘 KUNIE
2001年(平成13年) より連載を開始した「パンゲアの娘 KUNIE」が翌2002年(平成14年)に打ち切りとなり[23]、「あ〜る」以来17年連載を続けてきたサンデーを離れる。

青年誌への移動

鉄腕バーディー
「KUNIE」の打ち切りによって仕事の無くなっていたゆうきに、『週刊ヤングサンデー』へと異動していた「じゃじゃ馬」時の担当が、『バーディー』を名指しで連載を持ちかけ、同誌で2003年(平成15年)より『鉄腕バーディー』のリメイク版の連載を開始する[23]
2008年(平成20年)には『鉄腕バーディー DECODE』としてアニメ化もされるが、アニメ放映中に『ヤングサンデー』が休刊し『週刊ビッグコミックスピリッツ』へと移籍。その後、1カ月程度の休載を挟んで「鉄腕バーディーEVOLUTION」と改題の上で連載を再開した。改題によって個別タイトルとしては「じゃじゃ馬」などより短くなっているが『EVOLUTION』は完全に話の繋がった続編であり、無印と『EVOLUTION』を合わせたリメイク版『鉄腕バーディー』全体では連載期間で10年以上、単行本では30巻を越えるゆうき最長の作品となっている。
白暮のクロニクル / でぃす×こみ
2013年から2017年にかけては、現代に生きる吸血鬼をテーマにしたサスペンスミステリー作品『白暮のクロニクル』をビッグコミックスピリッツで連載。同時期に、ボーイズラブ作家をテーマにした『でぃす×こみ』を、月刊!スピリッツで不定期連載した。
新九郎、奔る!
2018年からは、伊勢新九郎(北条早雲)をモデルとした『新九郎、奔る!』を月刊!スピリッツにて連載開始(2020年よりビッグコミックスピリッツに移籍)。
2020年9月14日、画業40周年を記念した企画が、週刊ビッグコミックスピリッツ42・43合併号で告知された。同年12月に初の大規模となる展示イベント「ゆうきまさみ展」を東京・東京ドームシティ Gallery AaMoで開催。また、初の画集が発売されることも併せて発表した[24][25]。イベントの詳細は随時特設サイト及び公式Twitterで告知される[26][27]

注釈

  1. ^ シャア・アズナブルの乗るモビルスーツが1ページ目と2ページ目で異なるが、話の流れはつながらなくもない。
  2. ^ 超電磁マシーン ボルテスV』と『ベルサイユのばら』を混合させたパロディ作品。
  3. ^ 創刊号の誌名は『アニメ・パロディ・コミックス』。
  4. ^ 原田主演の『時をかける少女』と薬師丸ひろ子主演の『ねらわれた学園』とを混ぜ合わせたパロディ作品。
  5. ^ 当時の原田は角川春樹事務所に所属しており、薬師丸ひろ子渡辺典子と共に角川3人娘と称されていたが、1986年(昭和61年)に独立している。
  6. ^ 『週刊少年サンデー』で1983年から連載された池上遼一の漫画。出淵はメカデザインで関わっている。
  7. ^ 1つの物語としては、途中で『鉄腕バーディー EVOLUTION』に改題して継続されているリメイク版の『鉄腕バーディー』が最長となる。また連載期間では6年+6週続いた「パトレイバー」が8週程長く続いている。
  8. ^ 2012年8月現在
  9. ^ 1982年8月号p.105掲載の企画「アニメクイズグランプリ」から派生。同企画は好評を得て準レギュラー企画となり11月号p.57では「ガンバル5映画化決定?」のタイトルで2色刷り特集が組まれるほどであった。徐々に読者からのネタやアイディアを盛り込んだページとなり、ついには読者参加型連載漫画として掲載されるようになった。ゆうきのパロディ漫画を掲載していた他誌「月刊OUT」1982年10月号に描きおろし折込ポスターがついたことがある(その件については1982年11月号p.188の編集後記欄に詳細が記されている)。

出典

  1. ^ a b c ゆうきまさみ「BIRDY THE INTERVIEW」『鉄腕バーディー ARCHIVE』、85頁
  2. ^ まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、409頁
  3. ^ a b 『ゆうきまさみ年代記』小学館、2010年11月30日発行、170-176頁。小松左京との対談にて本人発言
  4. ^ 「[ふるさと]北海道倶知安町 漫画家 ゆうきまさみさん 58=東京」読売新聞、2016年9月1日、東京朝刊、28頁
  5. ^ a b 『アッセンブル・インサート』、表紙そで
  6. ^ a b 「奇跡の同窓対談」『月刊ニュータイプ』2010年12月号(第26巻第24号)角川書店、2010年11月10日発行・発売、88-89頁
  7. ^ a b 『ヤマトタケルの冒険』、表紙そで
  8. ^ a b c ゆうきまさみ (2005年3月11日). “ゆうきまさみのスケッチブック ホントはいつから「オタク」なの?”. ゆうきまさみのにげちゃだめかな?. 2009年7月5日閲覧。
  9. ^ ゆうきまさみ; 手塚眞他 (開催日:2009-04-18). “1、日本のアニメの未来 開催レポート” (PDF). 手塚治虫アカデミー2009|フェスティバル|東京文化発信プロジェクト. 東京都江戸東京博物館. 2009年7月5日閲覧。
  10. ^ a b c d 「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』13頁
  11. ^ 『安彦良和対談集 アニメ・マンガ・戦争』角川書店、2005年、42頁
  12. ^ a b c 「パトレイバー今昔物語」『機動警察パトレイバー』〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉45頁
  13. ^ a b c d e f 「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』14頁
  14. ^ 「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』17頁脚注
  15. ^ 「ゆうきまさみ WORKS ヤマトタケルの冒険」『CONTINUE』27頁
  16. ^ a b c d e f 「パトレイバー今昔物語」『機動警察パトレイバー』〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉48-49頁
  17. ^ a b c 「そこに知世がいれば」『early days』2巻、165 - 188頁
  18. ^ 「ゆうきまさみ WORKS 時をかける学園」『CONTINUE』24頁
  19. ^ a b 「わたしがここにいる理由」『ゆうきまさみのはてしない物語』144頁
  20. ^ a b c 「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』15-16頁
  21. ^ a b c 「パトレイバー今昔物語」『機動警察パトレイバー』〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉49-50頁
  22. ^ 「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』18頁
  23. ^ a b 「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』19頁
  24. ^ ゆうきまさみ:画業40周年企画続々 展覧会、初の画集 「究極超人あ~る」等身大R・田中一郎、光画部部室を再現”. MANTANWEB (2020年9月14日). 2020年9月14日閲覧。
  25. ^ ゆうきまさみ初の大規模展示イベントや画集発売、画業40周年を記念し”. コミックナタリー (2020年9月14日). 2020年9月14日閲覧。
  26. ^ ゆうきまさみ展
  27. ^ 【公式】画業40周年記念企画 ゆうきまさみ展 Twitter
  28. ^ 鉄腕バーディー :作品情報”. アニメハック. 2020年6月27日閲覧。
  29. ^ a b 「COLUMN もっとアーリーデイズ」『CONTINUE』24頁
  30. ^ 大人向けライトノベルの新レーベル『μNOVEL(ミューノベル)』10月創刊!”. ダ・ヴィンチニュース (2015年9月3日). 2021年6月23日閲覧。
  31. ^ ゆうきまさみが佐久間宣行ANN0本の表紙執筆、ゆうきを敬愛する佐久間「夢の様」”. コミックナタリー (2021年6月10日). 2021年6月23日閲覧。
  32. ^ 出版業界描く「重版出来!」劇中にゆうきまさみら描き下ろしマンガ、藤子不二雄(A)も”. コミックナタリー (2016年3月30日). 2016年4月13日閲覧。
  33. ^ ゆうきまさみ、出渕裕ら集結!「パトレイバー」の誕生に迫る番組、BS-TBSで明日放送”. コミックナタリー. ナターシャ (2023年3月6日). 2023年3月8日閲覧。
  34. ^ 【公式】漫道コバヤシ Twitter 2023年3月1日付
  35. ^ a b 「究極超人あ〜るの世界」『月刊OUT』1987年10月号(第11巻第15号)みのり書房、昭和62年10月1日発行、33-39頁
  36. ^ 「究極超人あ〜るの世界」『月刊OUT』1987年10月号、35頁
  37. ^ とり・みき「INTERVEW とり・みき」『CONTINUE』29頁
  38. ^ 『アッセンブル・インサート』60頁
  39. ^ 『現代漫画博物館 : 1945-2005』竹内オサム(監修)、小学館、2006年、別冊資料編p.73、ISBN 978-4-09-179003-3
  40. ^ 「月刊!スピリッツ」誕生記念対談”. 2009年9月3日閲覧。
  41. ^ 「リレー四コマ ゆうきまさみの華麗な日々」『機動警察パトレイバー』小学館〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉1989年2月1日初版第刷発行、ISBN 4-09-101177-2
  42. ^ 編集部(庭) (2005年9月12日). “特集「イナカナかれっじ」完結記念 法田恵先生インタビュー 第2部”. webメンズヤング. 2008年11月19日閲覧。
  43. ^ 背景の背景を訪ねて―美しい背景画を描くために大切なこと《前編》絵師ゆうろインタビュー”. ぷらちな. 2008年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月19日閲覧。






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