こっこう‐だんぜつ〔コクカウ‐〕【国交断絶】
国交断絶
国交断絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:22 UTC 版)
「南オセチア紛争 (2008年)」の記事における「国交断絶」の解説
2008年8月29日 グルジアがロシアと断交。 2008年9月3日 グルジア議会が、8月9日に宣言された「戦時状態」を解除。南オセチアやアブハジアなどの一部地域では「非常事態」を宣言。 2008年10月22日 南オセチアの新首相に、2006年までソ連国家保安委員会(KGB)やロシア連邦保安庁(FSB)に所属していたアスランベク・ブラツェフが就任。 2009年2月23日 ロシア政府の批判者ならびに軍事アナリストであるパーウェル・フェルゲンハウアーが、南オセチアに作られたロシア軍の基地からサアカシュヴィリ政権を倒すためにロシアがグルジアに侵攻する予定であると主張した。 2009年5月5日 グルジアで軍によるクーデター未遂事件が発生。クーデター勢力はロシアの支援を受けていたとされる。 2009年6月19日 グルジア軍兵士がロシアへ亡命。その兵士の話によると、グルジアはロシアとの戦争に備えているという。 2009年6月29日 ロシア軍がグルジアに隣接する北カフカス地方で大規模軍事演習を開始。2008年の戦争はロシア軍の大規模軍事演習直後に発生した。パーウェル・フェルゲンハウアーは「ロシア軍は軍事演習を利用して新たな戦争を準備している」と述べた。 2012年3月2日 ロシアとグルジアの断交状態が続く中、ロシア政府がグルジア側に対して外交関係の回復を提案。
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「国交断絶」の例文・使い方・用例・文例
- 国交断絶
- 国交断絶す
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