阪上安太郎
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/22 14:30 UTC 版)
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阪上安太郎 | |
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生年月日 | 1912年1月9日 |
出生地 | ![]() ![]() |
没年月日 | 1984年2月27日(72歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部経済学科 |
前職 | 水球選手 |
所属政党 | 日本社会党 |
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選挙区 | 大阪3区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1958年5月 - 1976年 |
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当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1950年3月21日 - 1958年3月20日 |
阪上 安太郎(さかがみ やすたろう 1912年(明治45年)1月9日[1] - 1984年(昭和59年)2月27日[1])は、日本の水球選手、政治家。衆議院議員を6期務め、衆議院功労議員として表彰された。
1932年ロサンゼルスオリンピック、1936年ベルリンオリンピックに出場した。
経歴
- 1912年(明治45年) 大阪府茨木町(現 茨木市)で生まれる[2]。
- 1932年(昭和7年) ロサンゼルスオリンピック水球に出場する(4位)[3]。
- 1936年(昭和11年) ベルリンオリンピック水球に出場する(予選敗退)[4]。同年 早稲田大学政治経済学部経済科卒業。
- 1950年(昭和25年)3月 第4代高槻市長に就任[5]。
- 1958年(昭和33年)3月 高槻市長を辞職。
- 1958年(昭和33年)5月 第28回衆議院議員総選挙に日本社会党所属で大阪3区に立候補し当選した。
- 1960年(昭和35年) 第29回衆議院議員総選挙で当選。
- 1963年(昭和38年) 第30回衆議院議員総選挙で当選。
- 1967年(昭和42年) 第31回衆議院議員総選挙で当選。内閣地方制度調査会委員となる。
- 1969年(昭和44年) 第32回衆議院議員総選挙で当選。
- 1972年(昭和47年) 第33回衆議院議員総選挙で当選。
- 1973年(昭和48年) 衆議院災害対策特別委員長となる[6]。
- 1976年(昭和51年) 第34回衆議院議員総選挙に立候補せず政界引退。
- 1984年(昭和59年) 72歳で死没。
役員
脚注
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、288頁。
- ^ 明治~昭和, 新訂 政治家人名事典. “阪上 安太郎とは” (日本語). コトバンク. 2021年10月29日閲覧。
- ^ “ロサンゼルス1932 男子水球 結果”. 国際オリンピック委員会. 2022年6月28日閲覧。
- ^ “ベルリン1936 男子水球 結果”. 国際オリンピック委員会. 2022年6月28日閲覧。
- ^ “第二章 戦後の推移”. 高槻市立中央図書館. pp. 第二章 P.1. 2022年7月5日閲覧。
- ^ 阪上安太郎『出身県別 現代人物事典 西日本版』p893 サン・データ・システム 1980年
参考文献
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院 1990年
関連項目
外部リンク
- 阪上安太郎 - Olympedia(英語)
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次代 金丸徳重 |
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先代 古田誠一郎 |
![]() 1950年 - 1958年 |
次代 鈴木定次郎 |
・) [2]新訂 政治家人名事典 明治~昭和
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