Totentanz S.126/R.457 H8とは? わかりやすく解説

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リスト:死の舞踏(「怒りの日」によるパラフレーズ)

英語表記/番号出版情報
リスト死の舞踏「怒りの日」によるパラフレーズTotentanzParaphrase über "Dies Irae") S.126/R.457 H8作曲年: 1847?-62年  出版年1865年  初版出版地/出版社Siegel 

作品解説

2008年11月 執筆者: 岡田 安樹浩

死の舞踏 Totentanz(独)/ Dance macabre(仏)」といえばフランス作曲家サン=サーンスによる作品が非常に有名であり、リストもこれを1876年にピアノ・ソロ(S.555)にアレンジしている。
しかし、リストがこのアレンジ着手するずっと以前オリジナル作品として「死の舞踏」という曲を作曲している。これがピアノ管弦楽のための本作品で、グレゴリオ聖歌の「ディエス・イレ怒りの日)」の主題によるパラフレーズである。
グレゴリオ聖歌ディエス・イレは「死」を意味する主題として19世紀ロマン派時代から20世紀なかばに至るまで、多く作曲家によって引用された。有名なものとしては、まずベルリオーズの『幻想交響曲』があげられるリスト1830年にこの作品初演パリ聴いているので、影響受けた可能性十分にある。リスト以降では、両作品の影響さまざまな作曲家たちに及び、リストアレンジしたサン=サーンスの『死の舞踏』、マーラーの『交響曲第2番』「復活」などがある。とりわけリスト作品影響受けたのはチャイコフスキーをはじめとしたロシア作曲家たちで、チャイコフスキー歌曲『暗い地獄で』や『マンフレート交響曲』で用いたほか、ラフマニノフピアノ作品だけでも『ピアノ・ソナタ第1番』、『音の絵』(第2集)、そして『パガニーニの主題による狂詩曲』の中で用いている。
音楽面の影響はおそらくベルリオーズから受けたものと思われるが、この作品構想には他の動機関連している。それは、1838年イタリアピサ(「斜塔」で有名な)を訪れた際、カンポサントにあるフレスコ画死の勝利」を見てインスピレーション受けたことである。
リストがこの作品着手したのはおよそ10年後の1847年頃と推定されるため、この訪問作品構想直接的な動機とみなすのは早まった考えであろう初稿完成したのち、1853年、また59年頃にも改訂加えられ最終的な完成をみたのは1862年である。なお、このとき独奏用(S.525/A62)と2台ピアノ用(S.652/C24)も作られ出版されている。初演1865年4月15日オランダデン・ハーグにて、ハンス・フォン・ビューローピアノ独奏行われた




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