STのデビュー
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この商品は1985年6月にアタリユーザーグループに出荷された後に1985年9月に520STとして市販された。コンセプトの決定から店舗に陳列されるまで1年弱のことだった。Atariは元々、メインメモリが128KBの130STと256KBの260STをそれぞれ発売するつもりだった。しかし、OSがフロッピーからRAMにロードされるため、アプリケーションを走らせるメモリ空間が残らなかった。260STはヨーロッパの限られた範囲で販売された。 初期のモデルはTOSと共に出荷されたが、将来的にROMベースのTOSへアップグレードしやすいようにROMソケットが備わっていた。それはわずか数ヶ月後に利用可能となり、古いマシンをアップグレードできると同時に新しいマシンにも搭載された。1985年末には520STMとして知られているTV視聴用のRFモジュレーターを搭載できるようになった。 元々AtariはGEMのGDOS(Graphical Device Operating System)を搭載するつもりだった。GDOSでは、プログラムがGDOSによってロードされたドライバにGEM VDI(Virtual Device Interface)コマンドを送信できた。開発者は送信先を単純に切り替えるだけで他のデバイスにVDI命令を送信できた。しかしGDOSはSTの出荷時に間に合わず、ソフトウェアパッケージに含めて出荷され、また後期のSTに搭載された。GDOSの後期バージョンはベクターフォントをサポートしていた。 長所としては、STはMacintosh Plus等のほとんどのライバル機よりも安価で、高速な傾向があった。主に価格とパフォーマンスの理由から、STは為替の影響により価格が高くなる国外市場で非常に人気のあるマシンになった。英国の広告キャッチコピーは"power without the price"(価格抜きのパワー)だった。事実、Atari STと端末エミュレータのソフトウェアの組み合わせは、中央コンピュータ用の端末として一般に必要とされていたDigital VT220端末よりも安かった。
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