SFコミュニティの反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/10 23:24 UTC 版)
「スペキュレイティブ・フィクションにおけるLGBT」の記事における「SFコミュニティの反応」の解説
SFファンダムでLGBTの人々が受け入れられるまでには長い歴史があった。初期のSF大会でゲイが参加していたことを他の参加者が記しているが、特に議論にもなっていない。SFコミュニティ内で同性愛者が認知されることを求めているという考え方は全くなく、1940年代にロサンゼルス・サイエンス・ファンタジー協会 (LASFA) に「同性愛者が大勢集まっている」というあるファンジンの記事が出ると、ファンダム内でスキャンダルとなった。有名なSFファンであるフォレスト・J・アッカーマンは、ファンダムにおいて同性愛者の運動をサポートすることを表明した最初の一人である。彼はレズビアン小説を書いたことでも知られており、レズビアン人権団体 Daughters of Bilitis の雑誌 The Ladder の出版も支援していた。彼はその団体から「名誉レズビアン」の称号をもらったと主張しており、1947年には Vice Versa という雑誌に「レズビアンSF」を別のペンネームで書いたとしている。 LGBTの登場する作品が増えると共に、LGBTであることを明かすファンも増えていった。1980年のワールドコン (Noreascon Two) では、サミュエル・R・ディレイニー、マリオン・ジマー・ブラッドリー、メリッサ・スコット(英語版)といったSFコミュニティの同性愛者と同性愛者に好意的なメンバーが集まっている。しかし、そのような会合はコミュニティの総意としてLGBTの人々が受け入れられたことを示すものではなく、ゲイやレズビアンのファンは統一された団体とは見なされていなかった。SF大会などでの非公式の集まりやLGBTファン向けのニューズレター発行の試みは、ほとんど注目されなかった。 同性愛者のファンのネットワーク作りが続き、最終的に1986年のワールドコンで行動計画へと結実した。そして1988年、Gaylaxicon というSF大会が開催され、Gaylactic Network の結成と Gaylactic Spectrum Awards の創設がなされた。同性愛をテーマとした議論は今ではWisConなどのSF大会の主題となっている。例えば WisCon 30 では「なぜ女性がゲイの男性について書くのか」というテーマでパネルディスカッションが行われ、ボストンで開催された第38回ワールドコンでは「閉ざされたオープンマインド - サイエンスフィクションとファンタジーにおけるホモフォビア」と題したパネルディスカッションが行われた。 オースン・スコット・カード(モルモン教徒)などのSF作家は、ホモフォビア的記述がLGBTコミュニティから批判されている。 一部のレズビアンのサイエンス・フィクションは読者としてSFファンよりもレズビアンを想定しており、Bella Books などの小規模なレズビアンおよびフェミニスト専門の出版社から出版されている。そのような作家としてキャサリン・V・フォレスト(英語版)がいる。
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