MLWウォーシントン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/08 06:14 UTC 版)
「モントリオール・ロコモティブ・ワークス」の記事における「MLWウォーシントン時代」の解説
MLWの親会社であるアルコは、1960年代に業績が悪化していった。理由は、以前は協業していたGEがアメリカでのスイッチャー製造事業に進出したためである。アルコは1964年に経営的に行き詰まり、ウォーシントンに買収された。アルコの子会社であるMLWの社名はMLWウォーシントンと変更された。 1967年、ウォーシントンはスチュードベーカーと合併し、社名をスチュードベーカー・ウォーシントンと変更。アルコはその子会社となった。1968年、アルコの各部門は独立採算の子会社となり、翌年、改組されてスケネクタディ工場は閉鎖された。機関車の設計はMLWウォーシントンに引き継がれ、ディーゼルエンジンの設計は翌1970年にホワイト・モーターに売却。その後、ディーゼルエンジンの設計はホワイト・インダストリー・パワーを経て1977年にイギリスのゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GEC、アメリカのGEとは無関係であり、のちに吸収により消滅)の手に渡り、アルコパワーと改名され、さらに設計部門は1994年にフェアバンクス・モースに譲渡された。 1970年代早期を通じて、MLWウォーシントンはカナダの鉄道向けに第二世代というべき機関車を製造していた。CLCは1969年に撤退し、競合相手は急速に業務規模を拡大していたGMDとなった。この時期のMLWウォーシントンはトレンドの先端を走っており、現代の北米の機関車に見られるカナディアン・セーフティ・キャブにその影響を見ることができる。その最初のものはM-420で、ワイド・ノーズすなわちショート・フードが左右に広いデザインが特徴で、その頭文字Wが形式名に加えられた。すぐに、安全性の高い運転室という設計はカナダの鉄道において重要なものとなった。この運転室のスタイルはアメリカの会社であるEMDやGEは1980年代まで採用しなかったが、現代では標準的なものとなっている。
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