ラディズラーオ1世 (ナポリ王)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 14:30 UTC 版)
ラディズラーオ1世 Ladislao I |
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ナポリ国王 | |
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在位 | 1386年 - 1389年、1399年 - 1414年 |
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出生 | 1376年2月11日![]() |
死去 | 1414年8月6日![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | コスタンツァ・キアラモンテ |
マリー・ド・リュジニャン | |
マリア・デンギエン | |
家名 | アンジュー=ドゥラッツォ家 |
王朝 | ナポリ・アンジュー朝 |
父親 | カルロ3世 |
母親 | マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ |

ラディズラーオ1世(Ladislao I, 1376年2月11日 - 1414年8月6日)は、ナポリ王(在位:1386年 - 1389年、1399年 - 1414年)。名目上はエルサレム王、シチリア王、プロヴァンス伯、ハンガリー王でもあった。アンジュー=シチリア家最後の男系男子である。
生涯
ラディズラーオはナポリでカルロ3世とマルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ(アンジュー=シチリア家傍系出身でカルロ3世とは共に父方の従兄妹)の間に生まれた。1386年に母の摂政の下、9歳でナポリ王となった。
しかし権力基盤は不安定で、1389年に反対派貴族達によりナポリから追放され、ヴァロワ=アンジュー家からルイ2世・ダンジューが擁立され即位、1399年に王位を奪還するまでラディズラーオは王位を剥奪されたままだった。一方、ハンガリーでは国王ジギスムントと対立する貴族に擁立され、1401年と1403年にローマ教皇ボニファティウス9世の指名でハンガリー王とされた。だが、ハンガリーでも基盤が脆弱なためすぐにジギスムントに蹴散らされ、実効支配はならなかった[1]。
ナポリ・ハンガリー王位は不安定になっていたが、それは教皇領も同様で、教会大分裂でローマ教皇庁とアヴィニョン教皇庁に分裂、ナポリ王位を巡る争いでローマがラディズラーオ、アヴィニョンがルイ2世を支持したため混乱に拍車をかけていた。野心家のラディズラーオも教会大分裂の最中に付け込み、1404年にローマ教皇インノケンティウス7世とローマ市民の紛争を調停したが、1408年にローマを占拠しラティウム、ウンブリアも占領。翌1409年にトスカーナにも侵攻するものの、フィレンツェ・シエーナ連合軍に敗退、ピサ教会会議で選出された対立教皇アレクサンデル5世から破門を言い渡され、代わりに支持されたルイ2世がフィレンツェ・シエーナと手を組み、ローマ市民の蜂起もあり形勢不利となってナポリへ退去、散々な結果となった[2]。
1413年、ローマ教皇グレゴリウス12世が不在のローマをまたしても占領、ローマへ入ろうとした対立教皇ヨハネス23世および後援者のジギスムントの通行を妨害したが、翌1414年に38歳でナポリで死去。子がなかったため、ナポリ王位は姉のジョヴァンナ2世が継承、ローマをマルティヌス5世に返還したが、後継者問題で右往左往してナポリを更なる混乱に引き込んだ[3]。
家族
いずれの結婚でも子女を得ることはなかった。
脚注
- ^ 北原、P213 - P214、瀬原、P220、P232、P236 - P237、P239。
- ^ スチュアート、P182 - P185、澤井、P86、北原、P223、瀬原、P242。
- ^ 澤井、P86 - P87、瀬原、P248 - P249、P412 - P413。
参考文献
- P.G.マックスウェル・スチュアート著、月森左知・菅沼裕乃訳、高橋正男監修『ローマ教皇歴代誌』創元社、1999年。
- 澤井繁男『ナポリの肖像』中央公論新社(中公新書)、2001年。
- 北原敦編『新版世界各国史15 イタリア史』山川出版社、2008年。
- 瀬原義生『ドイツ中世後期の歴史像』文理閣、2011年。
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「Ladislaus of Naples」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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