KBC バンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/13 06:57 UTC 版)
KBC バンド | |
---|---|
出身地 | ![]() |
ジャンル | ロック |
活動期間 | 1985年 - 1987年 |
レーベル | アリスタ・レコード |
旧メンバー |
|
KBC バンド (The Kantner Balin Casady Band) は、1973年に解散したジェファーソン・エアプレインのオリジナル・メンバーだったマーティ・バリン[注釈 1](ヴォーカル)とポール・カントナー[注釈 2](ヴォーカル、ギター)が、同バンドの2代目ベーシストだったジャック・キャサディ[注釈 3]を誘って1985年に結成したバンドである[1]。
略歴
カントナーは1984年にジェファーソン・スターシップ[注釈 4]を脱退後、同年10月にバリン[注釈 5]が率いるバンドと共にゴールデン・ゲート・パークのステージに立って、ジェファーソン・エアプレインのデビュー・シングル曲「イッツ・ノー・シークレット」を歌った[2]。その後、バリンはカントナーに「しばらくの間、自分達と一緒に活動しないか」と提案し、カントナーはこの提案を受け入れた[2]。
ジェファーソン・エアプレインを誕生させたカントナーとバリンが再開した共同活動は翌1985年の春頃までにさらに本格的になり、在籍していたホット・ツナ[注釈 6]が活動停止状態だったキャサディが参加した[2]。彼等は自分達の苗字の頭文字に由来するKBC バンド (The Kantner Balin Casady Band)を名乗り、スリック・アギラー[注釈 7](ギター)やティム・ゴーマン[注釈 8](キーボード)らをメンバーに迎えた[3]。
KBC バンドはベイ・エリアを中心にライブ活動を行ない[注釈 9]、ジェファーソン・エアプレインとジェファーソン・スターシップの曲に自分達の新曲を織り交ぜてステージを務めた。1986年10月にアリスタ・レコードからアルバム『KBC バンド』を発表した[4]。
カントナーはニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線のメンバーであるノーラ・アストルガ[注釈 10]に招待され、クリス・クリストファーソンと共にニカラグアを旅して演奏し、現地の詩人、兵士、音楽家、囚人、司祭らと出会った。彼はこの経験を100ページ程の小冊子"Paul Kantner's Nicaragua Diary: How I Spent My Summer Vacation or I Was a Commie Dupe for the Sandinistas"[注釈 11]にまとめて、自ら設立したLittle Dragon Pressより1987年に自費出版した[4]。
同年を通じてKBC バンドは活動を続け、セカンド・アルバムの制作を計画したが、バリンが前進したいという衝動に再びかられてビデオ撮影を拒否してハワイでの休暇に発ってしまったので、アリスタ・レコードの援助を失ってしまった。その後、カントナーが突然脱退を決意したので、短い歴史の幕を閉じた[5]。
メンバー
- スリック・アギラー Slick Aguilar – ギター、ヴォーカル
- マーティ・バリン Marty Balin – ヴォーカル、ギター
- ジャック・キャサディ Jack Casady – ベース
- Keith Crossan – サクソフォーン、ギター、ヴォーカル
- ティム・ゴーマン Tim Gorman – キーボード、ヴォーカル
- ポール・カントナー Paul Kantner – ギター、ヴォーカル
- Darrell Verdusco – ドラムス
ディスコグラフィ
アルバム
- KBC バンド (1986年)
シングル
- It's Not You, It's Not Me / Dream Motorcycle[6]
- Hold Me / Mariel[7]
- No More Heartaches / Wrecking Crew[8]
- America / Wrecking Crew[9]
脚注
注釈
- ^ 1971年脱退。
- ^ ジェファーソン・エアプレインに解散まで在籍した唯一のオリジナル・メンバーである。
- ^ 1972年脱退。
- ^ カントナーが1973年にジェファーソン・エアプレインが解散した後に結成した。
- ^ 1971年にジェファーソン・エアプレインを脱退した後、ソロ活動を経て1975年にジェファーソン・スターシップに加入して再びカントナーの同僚になったが、1979年に脱退して再びソロ活動を行なっていた。
- ^ キャサディとオリジナル・メンバーのヨーマ・カウコネンがジェファーソン・エアプレインに在籍していた1969年に結成したバンド。両名は1972年末に、同バンドの活動に専念する為にジェファーソン・エアプレインを脱退した。
- ^ かつてデヴィッド・クロスビーと活動したことがあり、当時はバリンのバンドのメンバーだった。
- ^ 1982年にザ・フーのアルバム制作とツアーに参加。
- ^ 1985年11月27日にはビル・グラハムがフィルモア・オーディトリウムで開催したコンサートに出演。ジェファーソン・エアプレインのオリジナル・メンバーだった女性ヴォーカリストのシグニー・アンダーソンと3代目ドラマーだったスペンサー・ドライデンが客演した。
- ^ アルバムの収録曲「マリエル」はカントナーとバリンの共作で、アストルガと、チリのシンガー・ソングライターでチリ・クーデターの際に軍部によって殺害されたビクトル・ハラに捧げられた。
- ^ ASIN: B000IAPR8W
出典
- ^ Tamarkin (2024), pp. 331–333.
- ^ a b c Tamarkin (2024), p. 331.
- ^ Tamarkin (2024), pp. 331–332.
- ^ a b Tamarkin (2024), pp. 332–333.
- ^ Tamarkin (2024), p. 333.
- ^ “Discogs”. 2025年8月12日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2025年8月12日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2025年8月12日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2025年8月12日閲覧。
引用文献
- Tamarkin, Jeff (2024). Got a Revolution!: The Turbulent Flight of Jefferson Airplane. Atria Books. ASIN B00AK80EKI
KBC バンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:51 UTC 版)
「ジェファーソン・エアプレイン」の記事における「KBC バンド」の解説
一方、カントナーは本来自分が目指してきた音楽をやる為に動き始めた。ソロ活動をしていたマーティ・バリンのライブで1984年中には早くも共演し、SVT(Hot Tuna解散後ジャック・キャサディが結成)が解散していたジャック・キャサディも加わって1985年にKBC(カントナー・バリン・キャサディ)BANDを結成。1986年にアリスタからアルバム『KBC BAND』(全米最高75位)を発表した。シングル「It's Not You, It's Not Me」が辛うじて最高89位などレコードセールス的には振るわなかったが、アルバム中数曲で8年ぶりにカントナー/バリンの共作も復活してジェファーソンの正統な流れを汲む演奏を聴かせ、事実上のファミリー再結集としてライブで人気を博した。当時、アメリカの抱える諸問題をストレートに取り上げたブルース・スプリングスティーンの「Born In The USA」やジャクソン・ブラウンの「For America」などがヒットしていた。KBC BANDでは1969年当時のエアプレインを思わせるような、カントナー/バリン共作のシングル「America(Arista AS1 9572)」を発表(12inchシングルやプロモーションビデオも作られたがチャートインはならず)。これは、「ベトナム戦争後の問題や権力への批判」を織り込みながらも未来を肯定するという内容で、商業成績という重石が取れ、晴れて軽やかに世の中に目を向けて歌えるようになった久々のカントナーらしいメッセージの曲だった。 1987年、カントナーはアルバムに収録されていた曲「Mariel」がきっかけで、シンガーソングライターのクリス・クリストファーソンと共にニカラグアに長期滞在し、帰国後、ペーパーバック『Paul Kantner's Nicaragua Diary』を出版した。バンドは活発なライブ活動を続け、2ndアルバムにとりかかったがレコード会社のサポートは得られず解散した。短期間の活動に終わったが、この時のメンバーが、現ジェファーソン・スターシップ(JEFFERSON STARSHIP -The Next Generation)再結成の基盤にもなった。
※この「KBC バンド」の解説は、「ジェファーソン・エアプレイン」の解説の一部です。
「KBC バンド」を含む「ジェファーソン・エアプレイン」の記事については、「ジェファーソン・エアプレイン」の概要を参照ください。
- KBC バンドのページへのリンク