JBC発足まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:27 UTC 版)
1902年1月24日、横浜市でエキシビションマッチを披露したアフリカ系アメリカ人のアーネスト・パドモア(パドモアの階級は不明。ただし、相手はミドル級)が、数時間後に足の冷たさと痺れを訴え、病院へ送られたが処置のしようがなく、午前1時半に死亡。検視の結果、スポーツ心臓によるものであった。 1930年8月29日、西宮市でフィリピン人選手ボビー・ウィルスに9RTKO負けした前日本ライト級王者小林信夫(帝拳)が、翌月1日に死亡。日本関連選手で最初の死亡事故となった。 1940年11月13日、東京で日本大学の韓国人アマチュア選手が脳震盪を起こした後、死亡。 1944年3月29日、今井清(第一)が死亡。 1947年11月30日、小宮信雄(埼玉)が死亡。 1948年1月29日、ライト級8回戦に判定負けした小山省吾(日新)が、同年3月16日に死亡。
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