God disguised as Michael Jordan
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:44 UTC 版)
「1985-1986シーズンのNBA」の記事における「God disguised as Michael Jordan」の解説
絶対的なエースを手に入れたシカゴ・ブルズは、新シーズンの開幕を3連勝という好調なスタートを切った。しかし3試合目でマイケル・ジョーダンが足を骨折してしまい、長期欠場を強いられる事態となった。以後ブルズはジョーダン欠場中の64試合は21勝43敗と一気に負けが混み始めたが、ジョーダンの怪我はなかなか癒えず、焦るジョーダンにチームはこのシーズンは諦め、ゆっくり休むよう言い聞かせた。しかしそれを良しとしなかったジョーダンは周囲の静止を聞かずに強引に復帰し、3月15日のミルウォーキー・バックス戦に64試合ぶりに出場した。4月にはフル出場できるまでに回復し、シーズン終盤に3連勝を飾ったブルズは30勝52敗でクリーブランド・キャバリアーズを僅か1勝差でかわしてプレーオフに進出した。 1回戦の相手は「史上最強のチーム」とさえ言われたボストン・セルティックス。ジョーダンは臆せず戦い、第1戦を41得点と活躍。そしてボストン・ガーデンで行われた第2戦でジョーダンはNBAキャリア初期における最高のパフォーマンスを見せる。歴史的な試合となった第2戦は淡々と始まった。ジョーダンはいつものように得点を重ね前半こそブルズがリードを守るも、後半になると地力で勝るセルティックスが追い上げ始めた。第4Qに遂に並ばれると、ここからはブルズ対セルティックスからジョーダン対セルティックスの様相を見せ始め、ジョーダンのシュートが次々とゴールに吸い込まれた。シーソーゲームとなった試合は、残り時間6秒で116-114のブルズ2点ビハインドのなか、ジョーダンが電光掲示板がゼロになる直前にシュートを放った。ボールはリムに弾かれ、アリーナに試合終了を告げるブザーが鳴り響いたが、しかし審判はブロックに行ったケビン・マクヘイルのファウルを宣告。ジョーダンは2本のフリースローを決め、試合は延長戦へと突入した。この時点でジョーダンはキャリアハイとなる54得点をあげていた。オーバータイムでもジョーダンはさらに5得点を積み重ねるも、勝ち越しを狙ったジョーダンのシュートは外れ、試合はさらにダブルオーバータイムへと突入した。2度目のオーバータイムへ入ると、このシーズンホームでは無類の強さを誇ったセルティックスが135-131でついにブルズを降した。結局試合は下馬評どおりブルズが敗北し、シリーズも3戦3勝でセルティックスが勝利したが、しかしこのシリーズ、この試合はジョーダンがプレーオフ新記録となる63得点を記録した試合としてNBA史に刻まれた。そしてジョーダンのプレイを間近で見たラリー・バードが試合後に語った言葉が、ジョーダンをこれまでの次元を超えたスーパースターへの道を歩むことを決定付けてしまった。 「 I think it's just God disguise as Michael Jordan. 」 日本では一般的に「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だった」と訳されている。
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