スーパースターへ(1989年 - 1994年)
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1989年10月に新日本に戻ってからは、1990年2月10日に新日本プロレス2度目の東京ドーム興行のメインイベントにおいて、橋本とのタッグでアントニオ猪木・坂口征二組と対戦し、4月27日に武藤とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得、12月26日に師匠でもあるテーズを破った(なお、この試合がテーズの最後の試合となった。)。翌1991年、新日本プロレスの夏期興行G1 CLIMAXの第1回大会において素晴しいパフォーマンスを見せた蝶野は、メインイベンターとしての地位を確立した(決勝では武藤を破り優勝)。 蝶野は1992年にも再びG1 CLIMAXで優勝し、同時にNWA世界ヘビー級王座を獲得した。このG1連覇により、蝶野は「夏男」と呼ばれるようになった。1992年9月23日横浜アリーナ大会、スティーブ・オースチンとのNWA世界ヘビー級王座初防衛戦において防衛。古傷の首を悪化。1993年1月4日、グレート・ムタとのNWA・IWGPダブルタイトル戦で敗戦した。3連覇が掛かった1993年の第三回G1 CLIMAXでは準決勝で馳浩に破れた。1994年1月、橋本真也のIWGPヘビー級王座に挑戦したが敗戦した。1994年8月、G1クライマックス決勝でパワーウォーリアーを破り、3度目のタイトルを手にした。
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