FCナント・アトレティック
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「FCナント」の記事における「FCナント・アトレティック」の解説
1988年、スオード監督が退任してミロスラフ・ブラゼヴィッチ監督が就任した。しかし、ブラゼヴィッチ監督はクラブの期待に添う結果を残せず、1988-89シーズンと1989-90シーズンは7位、1990-91シーズンは惨めにも15位に終わり、3シーズン連続無冠となった。1991年7月には再びスオード監督が就任したが、1991-92シーズンは9位だった。1992年7月、DNGG(フランスサッカー財政監査局)の運営上の決定によってディヴィジョン・ドゥ降格が決定していたが、FCナントはFCナント・アトランティックに改名し、ディヴィジョン・アンの地位を保った。1992年には「ナント主義」の精神が復活した。1992-93シーズンのクープ・ドゥ・フランスでは10シーズンぶりに準優勝し、1993-94シーズンの同大会ではベスト4となった。リーグ戦の成績も改善を見せ、1994-95シーズンには12シーズンぶりのリーグ優勝を果たした。この時期にはヤフェット・エンドラム、パトリス・ロコ、レイナール・ペドロス、ニコラ・ウエデク、クロード・マケレレ、クリスティアン・カランブーなどが成長した。1995-96シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではベスト4となったが、1995年から1997年には財政難に悩まされ、主力選手たちが次々に退団した。UEFA EURO 96後、ウエデクとペドロスはすぐに代表から遠ざかり、エンドラムはASモナコで度重なる怪我と格闘した。カランブーとマケレレは成功者の道を歩み、フランス代表の主力に成長した。毎年のように主力の放出を強いられることに嫌気がさし、スオード監督が1997年に退任してサッカー界から退くと、かつてBチームを率いていたレイノー・ドゥヌエが監督に就任した。1996-97シーズンには30戦無敗を続けて3位となったが、モナコに敗れたことでUEFAチャンピオンズリーグの出場権獲得は逃した。1997-98シーズンからの3シーズンは中位に停滞したが、クープ・ドゥ・フランスでは2連覇を果たした。2000-01シーズンにはヴィオレル・モルドヴァン、エリック・カリエール、サロモン・オレンベなどを擁し、6シーズンぶり8回目のリーグ優勝を果たした。ソクプレス(メディアグループ)によって買収され、長年サッカー界で生きてきたジャン=リュック・ジュリポンが会長に就任した。
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