DJKヴュルツブルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 05:10 UTC 版)
「ダーク・ノヴィツキー」の記事における「DJKヴュルツブルク」の解説
DJKヴュルツブルクに加入した当時のノヴィツキーは、その優れたシュート力よりも恵まれた長身が評価され、センターとして起用された。しかし、最初のシーズンである1994-95シーズン、チームは12位中6位と期待外れの成績に終わり、またノヴィツキーもレベルの高さに中々適応できず、ベンチを温める時間が多く、また学校の成績が下降してしまい、バスケよりも勉強に精を出さなければならなかった。 1995-96シーズンには先発に昇格し、フィンランド人のスター選手、マルティ・クイスマとプレイすることで一気に才能を開花させ、平均得点を二桁に乗せた。DJKの試合に訪れたドイツ代表チームのコーチ、ダーク・バウアーマンはノヴィツキーのプレイを見て「ドイツではこの10年、あるいは15年で最高のバスケットボール選手」と賞賛した。チームはノヴィツキーの活躍で好調のシーズンを送ったが、BGルードヴィヒスブルクとの試合に敗れ、1部への昇格はならなかった。1996-97シーズンにはクイスマがチームを去ったため、ノヴィツキーはチームのエースに昇格、平均19.4得点をあげたが、チームを1部に昇格させることはできなかった。 1997-98シーズン、学校を卒業して19歳となったノヴィツキーはDJKでプレイしながら兵役にも就かなければならず、選手と軍の訓練を両立させることに苦労したが、ノヴィツキーは身長が211cmまで伸び、成績も平均28.2得点まで伸ばすと、ついにDJKを1部リーグに昇格させ、ドイツバスケット誌選出の年間最優秀選手に選ばれた。 ノヴィツキーの活躍はドイツ国外にも伝えられ、1996年にはスペインのFCバルセロナからオファーを受けており、その1年後、ナイキ主催の「フープ・ヒーローズ・ツアー」では当時のNBAの現役スーパースター、チャールズ・バークレーやスコッティ・ピッペンと対戦する機会を恵まれ、30分のエキシビションゲームでノヴィツキーはバークレーの上からダンクを決めた。これに驚いたバークレーは「この子は天才だ。もしNBAに来たいなら俺に電話してこい」と言ったという。 ノヴィツキーが世界的に注目を浴びたのは1998年3月に行われたナイキ・フープサミット(全米ジュニア選抜 vs 世界ジュニア選抜)である。ノヴィツキーはこの試合で33得点14リバウンドをあげ、ラシャード・ルイスやアル・ハリントンらがいた全米選抜チームを破り彼の存在はNBAスカウト陣の注目の的となった。
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