CSSテネシーとの対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:03 UTC 版)
「モービル湾の海戦」の記事における「CSSテネシーとの対決」の解説
ファラガットはCSSテネシーがモーガン砦の大砲から保護される水域に行くと予想しており、その間に自艦を停めて湾中央で受けた損傷の具合を見ようと考えていたが、ブキャナンはただ1艦で北軍艦隊全艦に対抗することを決断した。2年前のハンプトン・ローズの海戦では衝角攻撃に成功していたので、それを繰り返すつもりだった可能性がある。ブキャナン自身はその決断について説明しなかった。 このときテネシーが面している艦船は動いており、1艦ではなく3艦の装甲艦と戦う必要があった。テネシーの速度が敵艦よりも鈍かったのでむしろ衝角攻撃の目標にされた。北軍艦船の数艦が衝角攻撃を試みた。そのうちの1艦モノンガヘラはそのために船首に鉄製の保護物を付けていた。しかしその衝角攻撃のどれもテネシーを傷つけられなかった。どの場合も攻撃した艦の損傷が大きかった。ファラガット艦隊からの砲弾はテネシーの装甲に跳ね返されたが、テネシーからの反撃も性能の劣った火薬と多くの失火のためにその効果が得られなかった。 最後は2艦の装甲艦が接近したときに形勢がはっきりしてきた。テネシーは既にほとんど動けなくなっていた。煙突が吹き飛ばされ、ボイラーの圧力を上げられなくなっていた。舵の鎖が外れて舵取りもできなかった。さらに砲門の扉の幾つかが壊され、その背後の大砲は使えなくなった。チカソーがテネシーの船尾につき、マンハッタンがその15インチ (38 cm) 砲で衝角を壊し始めた。砲弾が鉄の装甲を曲げ、背面のオーク材を破壊していた。 砲弾の破片で乗組員の何人かを殺し、また負傷させた。その犠牲者の中にはブキャナン提督自身も入っており、足に重傷を負っていた。もはや戦えなくなったテネシー艦長のジェイムズ・D・ジョンストン中佐は負傷したブキャナンに降伏の許可を求め了承された。テクムセが最初の砲弾を放ってから3時間以上が経過していた。
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