C. Benz Söhne (1906–1923)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 06:47 UTC 版)
「カール・ベンツ」の記事における「C. Benz Söhne (1906–1923)」の解説
カール・ベンツとベルタ、息子オイゲンの3人は1906年、マンハイムから10kmほど離れたラーデンブルクに移り、彼らの資金だけで新たな自動車製造会社 C. Benz Söhne を創業。当初ガスエンジン製作を考えていたが、需要がないためガソリンエンジンに切り換えている。 この会社は株式公開することはなく、Benz & Cie. とは独立した自動車を製作した。同社の自動車は品質が高く、ロンドンのタクシーに採用されて有名になった。 1912年、カール・ベンツは C. Benz Söhne の自分の持分を清算して同社をオイゲンとリヒャルトに譲ったが、Benz & Cie. の取締役は続けた。 1914年11月25日の70歳の誕生日、故郷のカールスルーエにて誕生祝いが行われ、カールスルーエ大学から名誉学位を授与された。 自動車産業の黎明期から、スポーツカーレースは主要な宣伝手段となっていた。先述したようにベンツも通常生産モデルの「ヴェロ」を世界初のパリ-ルーアン・レース(1894年)に参戦させている。その後、メーカーの技術力宣伝のため、レース専用の自動車を使ったモータースポーツが行われるようになった。ベンツもユニークな形状のレース車を開発しており、右の写真のものは1923年、モンツァ・サーキットでのヨーロッパグランプリに登場した車で、ミッドシップ方式で空気力学を考慮した車体形状になっている。 C. Benz Söhne は1923年まで自動車製造を続け、350台を生産した。翌1924年、カール・ベンツは同社で2台の自動車を製作させたがそれらは売らず、個人的に使用した。 カール・ベンツは1925年、唯一の自伝(日本語訳『自動車と私』)を刊行した。自動車発明前後の前半生について特に詳しく著述しており、後年まで自動車史における貴重な文献となっている。本書中でベンツは、ヘンリー・フォードによる自動車大量生産の手法や思想について批判的な見解を述べた。
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