Altair8800の発売
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 19:56 UTC 版)
「Altair 8800」の記事における「Altair8800の発売」の解説
このような状況で個人向けに発売されたコンピューターキットのうちの1つが、Altair8800である。開発元であるMITS社のエド・ロバーツは、「商業モデルに匹敵しうる世界初のミニコンピュータキット」と紹介した。販売価格は、組み立てキットで397ドル、組立済み498ドルで、発売直後(3月)に組み立てキット439ドル、組立済み621ドルに値上げした。なお、当時のi8080の単体価格は350ドルであった。 発売されると、BIT誌上で「personal computer」と絶賛された。破格の安さと拡張性で、最初の2〜3週間で4,000台を超える注文が殺到した。しかし、後述する生産体制等の問題により、1975年に実際に販売できたのは2,000台程度と言われている。 また、その後一般向けに発売されたオペレーティングシステムであるCP/Mとともに、中古市場に出回りつつありあったリースバックのテレタイプ端末ASR-33やビデオターミナルVT-100およびそれらの互換機などと、他の拡張機器類とあわせて接続することで、フルキーボードで入力しCRT上で結果を得るという、現在のコンソール環境とほぼ同等の環境で使うこともできるようになった。 Altair8800は、一般に知られている組み立てキットだけではなく、完成品もカタログのラインナップには存在していた。しかしMITSでは市場の要求に応えられるだけの完成品を量産製造する能力がなく(また当初は、組み立て済み製品のほとんどに何らかの不良があったとされる)、納期の遅れは購入者とのトラブルを生み出し、訴訟問題にまで発展した(例えば、送金時には1000ドルの製品が、納期の遅れによってようやく送られてきた時には、市価における実勢価格が600ドルにまで下がっている等したため、差額返却を要求された)。 実際の販売数ではキットの方がはるかに多く、電子工作の経験や素養のないユーザーが組み立てキットを購入してしまうことで完成させられない人間が続出し、その対処や苦情への対応も大きな負担になっていた。 MITSが経営に失敗した理由は、この生産効率の悪さとクレームの対処のまずさにあったと言われている。また、キット販売が主流のAltairを、組み立てなどの煩雑な作業は飛ばして実務に応用したいユーザーのニーズにもMITSは満足に応えることができず、これらの事情から完成した(消費者向け製品としてはより洗練された)互換機や拡張機器類を販売するサードパーティーが活動する余地を見出し、Altairを中核とした互換機市場に発展してゆくことになる。
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