AMXの誕生
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AMXの名称は元々1966年にAMCが催した自動車ショー興行の「プロジェクトIV」で披露された2台のコンセプトカーのコードネーム「American Motors eXperimental」からとられた。1台はグラスファイバー製2座の「"AMX"」で、もう1台が4座の「"AMX II"」であった。AMC車が持つ「大衆車」のイメージを払拭し、より若々しい高性能車の市場に訴えかけるというAMCの戦略を反映して両モデルともに斬新なスタイリングを持っていた。 オリジナルのAMXの実物大模型は1965年にチャールズ・マシガン(Charles Mashigan)率いるAMCの先行デザイン・スタジオで開発された。2座のAMXは「1966年の巡回自動車ショーで大受け」し、車体後部のデッキリッドを開くと現れる「ランブル」("Ramble")と呼ばれる予備座席を備えていた。AMCの幹部は、「ロムニーの大衆車」というイメージを持つ消費者の認識からスポーティ、高性能に立脚した車という新しい市場での興味の対象に変化させる機会を見出した。会長のロバート・エヴァンス(Robert B. Evans )はこのAMXのような車を早期に生産に入れるように要求した。 量産車に向けて (1)ジャヴェリンを改装した車と (2)グラスファイバー製ボディを持つ全く新しい車という2つのモデルの開発計画が同時に進められた。既存の技術が利用でき、AMX試作車のスタイリングに近似のAMC・ジャヴェリンの製造設備に僅かな改装を加えるだけのモノコック・ボディ製造技術の経験が活かせる後者が採用された。自動車製造業者は少量生産車用以外ではプラスチック製ボディを開発したがらなかった。最初の全可動モデルは1966年のAMCのAMXプロジェクトの一環としてデビューした。 AMXは、年月を経て4座の豪華スペシャルティカーに変貌したフォード・サンダーバードのオリジナル1957年モデル以来、初の鋼板製ボディを持つ2座の国産高性能車と宣伝された。直接の競合車のシボレー・コルベットが1in 長い(98in、2,489mm)ホイールベースを持つ一方で、AMXのホイールベースは短い(97in、2,464mm)ものであった。ベース価格は3,245USドルで、これはコルベットよりも25%、1,000USドル以上廉価な値であった。 AMXはジャヴェリンの販売が開始されてちょうど4ヶ月が経った1968年2月にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで報道機関に披露された。
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