AKB48でのエピソード
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「宮脇咲良」の記事における「AKB48でのエピソード」の解説
2012年3月、「誰かのために」プロジェクトの一環で、AKB48メンバー6名とともに、東日本大震災被災地の宮城県名取市を訪問した際の様子と感想をつづったGoogle+の本人投稿記事が、AKB48およびHKT48のプロデューサーでもある秋元康の目に留まり、「泣きました。もっと頑張ろうと思いました」と言及されたほか、同投稿記事は同年4月27日発売の『FLASH』でも取り上げられた。 『AKB48 27thシングル選抜総選挙』で初ランクインしたことと、『AKB48 34thシングル選抜じゃんけん大会』予選に合わせてショートヘアにしたことが「人生のターニングポイント」だといい、特に後者については「幼いイメージを捨てたことで『脱ロリ』ってすごく言われた」とのこと。 『37thシングル選抜総選挙』開票イベントにおける自身の順位発表の際に、「ファンのみなさんは太陽のような存在。私は温かい光で照らされて光る月。月は、太陽がないと光ることはできません」と謝辞を述べて、開票イベントのサブタイトル「ライバルはどこだ?」にちなみ、「ライバルは、さっしーです。HKTには、さっしーを超える存在がいないといけない。いつか、さっしーを超えてみせます」と宣言した。同総選挙後は、「画面に映ったときにこの子誰だろう?って目を引くような魅力のある人になりたい」、「そのためにもいっぱい刺激を受けなきゃと思って、最近は1週間に1回は映画館に行くようにしている」とのこと。 「心のプラカード」のミュージックビデオ撮影時にスタッフからまだ普通だと指摘され、「自分でも選抜常連のメンバーが個性を一言で表せる人ばかりな中で自己嫌悪になるぐらい実力のなさが分かっちゃう」、「自分を一言で表せるぐらいの個性や可能性を見つけていきたい」と語っている。AKB48グループ総監督の高橋みなみも、当時宮脇が悩んでいることに気付いて、同総支配人の茅野しのぶと「咲良はどうしたらいいかな」と話していたというものの、「そこからポーンって伸びたから、すごい」と評している。 AKB48で同じチームAに所属する島崎遥香と親しくしており、島崎の自宅を訪れたり、服の話でメールをしたりする交流がある。「希望的リフレイン」のダブルセンターに選ばれたことが発表された際、不安のためずっと泣きながら「無理です、無理です」と連呼していた時も、島崎が冷静に「泣いたらブスになるから、やめな」と声をかけたため「ヤバいと思って、泣きやみました」とのこと。 2014年4月から2015年5月までAKB48チームBを兼任していた生駒里奈の事が好きで、生駒と会話をすると「安心する」とのこと。 元SKE48・松井玲奈の勧誘をきっかけに「上からマリコ」劇場盤発売記念大握手会でAKB48グループ内の非公式ユニット「メロンパン同盟」に加入した。 走り方が「みんなにエヴァンゲリオンって言われる」フォームになる上に遅いため、「希望的リフレイン」のミュージックビデオ撮影時には、自身は先頭を走っていたにもかかわらず、4列目にいた山本彩に追い越されるほどだった。
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