6代目笑福亭松鶴との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:08 UTC 版)
「笑福亭松之助」の記事における「6代目笑福亭松鶴との関係」の解説
6代目松鶴は松之助より7歳年上だったが、「生意気」だった松之助は、弟子修業当初からタメ口で6代目に接していた 。ただし、長く寝食を共にし、幼少の頃から抱いていた兄の存在への憧れもあって、6代目を「兄貴」「兄ちゃん」と呼び、心から慕っていた。松之助は6代目のために新作落語を数本書き下ろしている。 6代目松鶴の前座名を継いだまま、改名や名跡への襲名を行わず、生涯松之助の名で通した。6代目の一存では改名させられなかった事情のためとみられる。 6代目と同じ松竹芸能に所属した期間は前述の通り短かったが、1962年の角座での襲名披露興行にちょうどめぐり合った。所属事務所が異なれば同じ一門であっても襲名披露の口上に参加できない慣習だったため、松之助は参加がかなった当時を「これも運やね」としている。6代目は「よかったらこれを着てくれ」と、襲名記念に自身と揃いで仕立てた長襦袢を松之助に贈っている。 6代目が死去した際、松之助は通夜・葬式に一切出なかった。6代目の弟子で松之助の甥弟子に当たる笑福亭鶴瓶は、この当時の松之助の態度に対して「なぜ弔問に来ないのか?」と思っていたが、のちに鶴瓶の直上の兄弟子・笑福亭松葉が死去した際、あまりの悲しさに葬儀に出たくない感情がこみ上げ、松之助の気持ちが「わかった」とのちに語った。
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