3連動地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 07:36 UTC 版)
「東海・東南海・南海地震」の記事における「3連動地震」の解説
3連動地震と考えられてきたものは、1707年の宝永地震であり、大規模な津波堆積物が見いだされている天武13年(684年)の白鳳地震や正平16年(1361年)の正平地震も宝永型の可能性があるとされ、記録から仁和3年(887年)の仁和地震も可能性が高いとされてきた。慶長9年(1605年)の慶長地震も津波波源域が東海から南海に及ぶとされ、房総沖も連動したとする説もあるが、その他東海道はるか沖を震源とするなど諸説あり、南海トラフの地震ではないとする見解も出されている。 しかしながら、仁和地震は、静岡県磐田市の太田川沿いの元島遺跡から発見された9世紀後半頃の津波堆積物の規模が小さいことから3連動地震の可能性は低いとされ、さらに仁和地震に相当する津波堆積物は南海側では見出されず、正平地震に相当する津波堆積物も東海側では見出されていない。 また、宝永地震については駿河湾が震源域に含まれる、含まれないとの論争があった一方で、日向灘地震の震源域まで伸びていた可能性が指摘され、また安政の2地震の同時発生では説明できず、単なる3連動地震ではない別物の巨大地震との説も浮上している。 その後の研究により、地震が起こるたびに震源域が変化するという、従来の東海・東南海・南海の枠に捕われない見解が出されるようになった。例えば、同じ南海地震でも安政の南海地震は南海道沖全域が震源域となったのに対して、昭和の南海地震は西側4分の1は震源域ではなかったと推定されている。また一方で東京大学地震研究所の瀬野徹三(2011)は、3地震の現在の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部及び東海)と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む「安政型」、その震源域と連動せず静岡までは断層の破壊が起きない「宝永型」の二種類に分類することができるという説を唱えている。 瀬野徹三(2013)は、南海トラフ沿いで起こった歴史地震のなかで、3連動地震であった証拠が確かなものは無いとしている。
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