2009-13(マツダ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:32 UTC 版)
「ダイソン・レーシング」の記事における「2009-13(マツダ)」の解説
ポルシェが2008年限りで、ALMSのファクトリーサポートを終了したが、ダイソン・レーシングは幸運にもマツダとのパートナーシップを開始し、2009年シーズンに向けてBP /カストロールがスポンサーとなった2台のローラ・B09/86でLMP2クラスで参戦した。この動きは、ローラとエンジンのマツダ・MZR-Rを担当したアドヴァンスド・エンジン・リサーチ(AER)との長年の関係を再燃させた。チームはライム・ロック・パークとプチ・ルマンで2勝を上げた。チームはライバルであるフェルナンデス・レーシングに次ぐ、チームチャンピオンシップを2位で終えた。ドライバーのブッチ・ライツィンガーとマリーノ・フランキッティはドライバーズで2位に終わり、クリス・ダイソンとガイ・スミスは4位でフィニッシュした。 2010年シーズン、LMP1とLMP2クラスが組み合わされて1つのLMPクラスとなり、5つの異なるシャーシ、エンジンの組み合わせで非常に緊密な競争が生まれた。ダンロップを使用するダイソンチームは、一貫してトラックで最速の車の1つだったが、スミスとダイソンは2戦がノーポイントだった。ハイライトは、8月のミッドオハイオでの総合優勝だった。これはダイソン、マツダ、ガイ・スミス、イソブタノールを使ったバイオ燃料、ダンロップ、カストロールにとって初めてのALMSの総合優勝だった。チームはLMPクラス4位、ドライバーズでクリス・ダイソンが4位、ガイ・スミスが6位だった。 2011年シーズン、チームはLMP1クラスでオリクス・ダイソン・レーシングと合わせて、4回のクラス優勝、その内2回の総合優勝を上げた。チームは5回のポールポジション、4回の最速レースラップ、合計13回の表彰台を獲得した。その年ダイソンレーシングはチームと、クリス・ダイソンとガイ・スミスのドライバーズタイトル、マツダのエンジンメーカータイトル、ダンロップのタイヤタイトル、2011年ミシュラングリーンXチャレンジの5つのチャンピオンシップタイトルを獲得した。 2012年シーズン、チームはドライバーのダイソンとスミス共に、ライバルのマッスルミルク・ピケット・レーシングと競った。チームはまた、10戦中8戦で、数人の異なるドライバーで#20号車が出場した。シーズンを通して、マツダ-AERを搭載したローラ・B12/60は、マッスルミルクの新型HPD・ARX-03に対し、完全にスピードを欠いていた。しかし、HPDのマシントラブルによりボルチモア、またロード・アメリカでは0.083秒差で勝利を収め、ALMS史上最も僅差な総合優勝の記録を打ち立てた。チームはLMP1クラス2位になり、クリス・ダイソンとガイ・スミスはドライバーズで2位になった。ダイソン・レーシングはボルチモアでALMS100戦目のスタートを祝い、ミッド・オハイオで200回目の表彰台を獲得した。 2013年シーズン、チームはP1クラスランキング2位、ドライバーズは3位に終わった。
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