2000~2011年
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2000年代には幼児向け作品『劇場版とっとこハム太郎』シリーズ全4作や、美少女ゲームを原作とした『AIR』『CLANNAD』劇場版など、自らの新境地となる作品の監督を務めた。また2005年には『スペースコブラ』以来23年ぶりとなる地上波での連続テレビシリーズ『雪の女王 The Snow Queen』を監督。制作途中で病気を患いながらも、62歳にして全36話の絵コンテを全て担当(うち2本のみ他者と共同)する。 さらに、28年ぶりにマッドハウス作品の監督となった2008年の『ウルトラヴァイオレット:コード044』と、トムス・エンタテインメントと手塚プロが共同で制作した2009年の『源氏物語千年紀 Genji』では共に1クール弱の放送期間ながら、キャリア初の連続テレビシリーズ全話に渡る監督・脚本・絵コンテ担当を実現した。この時、既に癌を発症しており、『ウルトラヴァイオレット』は丸山から最後の仕事として持ちかけられたものであった。 ただし『ウルトラヴァイオレット』では、あらすじはあってもシナリオ決定稿はなく、ほぼぶっつけ本番で直接絵コンテ作業を行う方式だった。『Genji』は『あさきゆめみし』からの企画変更に伴う制作スケジュールの逼迫により、第3話「夕顔」以降は週1話ペースでの絵コンテ制作というハードな状況となった。第10話「謀叛」と11話「若紫へ」に至っては、後に本人が、もうすぐアフレコが始まるという時にまだ後半の絵コンテを描いていたと語ったほど緊迫した状態であった。 『Genji』終了後は、2009年7月から放映される予定だった『COBRA THE ANIMATION』テレビシリーズ版の監督を務めることになっており、すでに2008年6月には記者会見も開かれていたが、土壇場で降板。肺癌の治療に入る。その後、11年ぶりに制作されたOVA『ブラック・ジャック』シリーズ2本に監修者として参加している途中の2011年4月17日、肺癌のため東京都三鷹市の病院で死去。67歳没。喪主は出﨑哲が務めた。
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