20世紀後半: 衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 06:47 UTC 版)
「ユニオン駅 (デンバー)」の記事における「20世紀後半: 衰退」の解説
米西戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして朝鮮戦争中、多くの兵士がこのユニオン駅から基地へ、そして戦地へと赴いた。第二次世界大戦の終戦間際には、兵士と民間人合わせて230,000人がユニオン駅を利用した。しかし、第二次世界大戦後、1950年代に入ると、鉄道は自動車や航空機に旅客を奪われていった。1958年には、ステープルトン国際空港の利用客数が初めてユニオン駅のそれを上回った。都市間鉄道の宣伝のために、駅舎上部にオレンジ色に光る Union Station: Travel by Train というネオンサインが取り付けられたのもこの頃であった。 1966年にはシカゴ・ロック・アイランド・アンド・パシフィック鉄道のロッキーマウンテン・ロケットが、1973年にはバーリントン・ノーザン鉄道からアムトラックに移管されたデンバー・ゼファーが、そして1983年にはデンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道のリオグランデ・ゼファーが運行終了し、ユニオン駅に発着する定期列車はアムトラックのカリフォルニア・ゼファー2本(東行・西行1本ずつ)のみとなった。その一方で、1970年代初頭には、バーリントン・ノーザン鉄道がユニオン駅の再開発を含む、プラット河畔の開発計画を打ち出した。また1970年代後期には、ユニオン駅を取り壊し、跡地に複合交通センターを設置する計画も持ち上がった。しかしいずれの計画も注目を集めることなく立ち消えになった。やがて1980年代に入ると、RTDおよびデンバー市郡当局はデンバー・ユニオン・ターミナル鉄道会社と協働で、ユニオン駅の改善に乗り出した。
※この「20世紀後半: 衰退」の解説は、「ユニオン駅 (デンバー)」の解説の一部です。
「20世紀後半: 衰退」を含む「ユニオン駅 (デンバー)」の記事については、「ユニオン駅 (デンバー)」の概要を参照ください。
- 20世紀後半: 衰退のページへのリンク