ジョルジュ・ポンピドゥーの構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 10:03 UTC 版)
「ポンピドゥー・センター」の記事における「ジョルジュ・ポンピドゥーの構想」の解説
最初に「20世紀の美術館」という構想を打ち出したのは、「空想美術館」という概念を提唱し、ド・ゴール政権下で文化担当国務大臣を務めたアンドレ・マルローであった。実際、マルロー文化相 (1960-1969) は建築家ル・コルビュジエ (1887-1965) にこのプロジェクトを一任し、ル・コルビュジエは螺旋状の建物を設計していたが、1965年の急死により、結局、このプロジェクトは実現を見なかった。 1969年、大統領に就任したジョルジュ・ポンピドゥーが、首都パリの中心部に造形芸術のほか、デザイン、音楽、映画関連の施設を含む近現代芸術拠点を設ける構想を発表した。目的は、1) 特に1960年代に世界の芸術の中心地がパリからニューヨークに移ったため、こうした衰退に歯止めをかけ、現代芸術の中心地としてのパリの地位を取り戻すこと、2) 世界に開かれた芸術創造の場を提供し、分野横断的な新たな芸術表現を可能にすること、3) 国が最新の芸術動向と一般大衆をつなぐ仲介役となること、4) パリに20世紀後半の建築を代表するモニュメントを建てることなどであった。ポンピドゥー大統領のこの構想は、高級芸術(ハイアート)と大衆芸術(ロウアート)、文化の中央集権化と地方分散化などの観点から論争を巻き起こした。同じくポンピドゥー大統領の意思により、1972年にグラン・パレで「芸術の力」と題するフランス現代美術の大規模な企画展が開催されたときにも同様の論争が起こり、多くの芸術家が国家権力による芸術活動への介入を批判した。
※この「ジョルジュ・ポンピドゥーの構想」の解説は、「ポンピドゥー・センター」の解説の一部です。
「ジョルジュ・ポンピドゥーの構想」を含む「ポンピドゥー・センター」の記事については、「ポンピドゥー・センター」の概要を参照ください。
- ジョルジュ・ポンピドゥーの構想のページへのリンク