2期生の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 00:42 UTC 版)
5月から、目黒区内の旅館で山本舜勝1佐による祖国防衛隊の中核体要員への集中講義、訓練支援が開始され、対ゲリラ戦略のための基礎事項を学び、27日には北朝鮮工作員と思しき遺体が秋田県能代市の浜浅内に漂流した「能代事件」(1963年4月)も扱われた。山本1佐は、部下に命じて講義後の三島を尾行させ、喫茶店で学生らと講義の感想などを雑談する会話内容を盗聴し、次回の講義でそれを示して、三島らに常に警戒心を持つように指導した。 地域研究、街頭訓練を重ね、6月1日には、市中で対ゲリラ戦略の総合演習として、変装、尾行、張り込み、潜入の実地訓練を、新宿東口を出発点としてチーム対抗で行なった。三島は労務者に成りすまして尾行任務をこなし、夜中に山谷の玉姫公園までたどり着いた。終了後、回向院隣りの養老乃滝で反省会を行なった。 7月24日、第2回の体験入隊者の壮行会を兼ね、空手家の中山正敏らを招いて、市ヶ谷会館で1期生との合同の会合(昼食会)を開いた。これを機に毎月1回の例会が行われるようになった。 7月25日から8月23日まで、第2回の体験入隊が陸上自衛隊富士学校滝ヶ原駐屯地で行われ、33名(うち1期生5名)が参加した。この時に生長の家関連の全国学生協議会の伊藤邦典の紹介で同会の小賀正義(神奈川大学工学部)と古賀浩靖(神奈川大学法学部)が参加し、2期生となった。他の2期生は、堀田典郷(皇學館大学卒)、小野寺彰(早稲田大学)、下山芳行(早稲田大学政経学部)などがいた。 一方、桜田武(日経連)からの支援協力が結局は中途半端な形でバカにされ、最終的に桜田は、「君、私兵など作ってはいかんよ」と三島に300万円の投げ銭をした。三島のプライドはひどく傷つき、それ以降、民兵組織を全て自費で賄うことにした。
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