2度目の棋聖獲得と引退とは? わかりやすく解説

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2度目の棋聖獲得と引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:20 UTC 版)

二上達也」の記事における「2度目の棋聖獲得と引退」の解説

1958年にA級入りした加藤一二三をはじめ、芹沢博文山田道美内藤國雄など年下棋士徐々に台頭した1967年には山田棋聖獲得し1968年には当時20歳中原誠当時最年少記録棋聖獲得した二上1970年代棋聖戦で4回、王座戦1回王将戦1回タイトル挑戦したが、いずれも敗れた1980年度後期第37期棋聖戦米長邦雄破り14年半ぶりにタイトル獲得その後1981年度前期後期棋聖位無敗防衛し3連覇1982年前期森雞二奪われ通算5期条件である永世棋聖にはなれなかった。なお、1981年度後期棋聖位防衛による50歳のタイトル保持は、59歳王将54歳棋聖タイトル保持していた大山康晴に次ぐ歴代2位高齢記録である。 順位戦では1978年に6勝4敗で4名が並び名人挑戦者決めプレーオフ出場し二上米長敗れた1979年には3勝6敗でB級1組降級したが翌1980年にはA級へ復帰した1982年2度目降級後も2期後にA級へ復帰した1986年3度目降級した後の1988年頃から引退考え始め1989年公式戦であるオールスター勝ち抜き戦弟子羽生善治対局して負けた際に最終的に引退決意した(これが羽生との公式戦唯一の師弟対決である)。1990年3月31日引退

※この「2度目の棋聖獲得と引退」の解説は、「二上達也」の解説の一部です。
「2度目の棋聖獲得と引退」を含む「二上達也」の記事については、「二上達也」の概要を参照ください。

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