2度目の治世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 07:37 UTC 版)
「ハルステン (スウェーデン王)」の記事における「2度目の治世」の解説
1081年に教皇グレゴリウス7世が発した教皇勅書には、頭文字がそれぞれAとIという2人の兄弟がヴェステルイェートランド(rege wisigothorum)の共同王として呼ばれていることから、この時期にハルステンとインゲ1世の兄弟が共同統治(すなわちハルステンは復位していたことになる)していた可能性が指摘されている。ただ、「A」が頭文字という王はホーコン赤王を指している可能性もある。ヘイヴォルとヘイズレク王のサガにも、ハルステンとインゲの兄弟が共同統治をおこなったという話がある。ヴェステルイェートランド法の歴代王表によれば、ハルステンは礼儀正しく陽気で、何か問題が持ち込まれた時には常に公正に裁いた。そのため、ハルステンが死去した時にはスウェーデン中が嘆いたという。ハルステンは、後の共同王フィリップとインゲ2世の父であった。 ヘルヴォルとヘイズレク王のサガには、この頃のステンキル家の王たちについて次のように語っている。 Hallsteinn hét sonr Steinkels konungs, bróðir Inga konungs, er konungr var með Inga konungi, bróður sínum. Synir Hallsteins váru þeir Philippus ok Ingi, er konungdóm tóku í Svíþjóð eptir Inga konung gamla. ステンキル王は、インゲ(1世)の他に、もう一人の息子ハルステイン(Hallstein)がおり、兄弟とともに統治した。ハルステインの息子はフィリップスとインゲで、彼らはインゲ(1世)の後にスウェーデン王国を継承した。
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