1996年 解散
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「ライド (バンド)」の記事における「1996年 解散」の解説
1995年、彼らは4枚目となるアルバム『タランチュラ』のレコーディングを行っていた。アルバム『カーニバル・オブ・ライト』ではガードナーが半分の楽曲を、ベルがもう半分の楽曲を書いているが、アルバムがこの形に落ち着くまでには相当ないざこざがあったようだ。だが『タランチュラ』のレコーディング開始当初、ガードナーとベルの間には軋轢などもなく、バンドの雰囲気も良い方向に向かっていくように思われた。しかし、『カーニバル・オブ・ライト』制作時に表面化した不協和音は、アルバム制作が進むにつれてより深刻なものとなってゆく。 ところで、『タランチュラ』のほとんどの楽曲はベルによるもので、ガードナーはわずか1曲を提供したにすぎなかったが、これはガードナーが楽曲制作の意欲を失ってしまっており、満足いくものを書けなかったことによる。ベルは当時のバンドの状態を嘆いており、『タランチュラ』収録の「Castle on the Hill」という楽曲の中では彼の当時のバンドに対する思いが描かれている。またレコーディング末期にはガードナーがバンドから無理矢理脱退しようとする事態が発生した。 この時期には彼らのサウンドにも更なる変化が現れていた。1995年から1996年にかけて、オアシスの『モーニング・グローリー』が空前のヒットを飛ばしていたことからもわかるとおり、ブリットポップが音楽シーンを席捲していた。その影響からか、ライドの方向性も『カーニバル・オブ・ライト』以上にシューゲイザーから離れ、よりブリットポップ寄りのものになっていった。ライド初期の轟音サウンドは復活したものの、ノイズ色の強いサウンドは鳴りを潜め、よりポップで耳あたりのよい楽曲が主流となっていった。 数々のトラブルを経て、アルバム『タランチュラ』は1996年3月にリリースされた。だが、チャートアクションは最高位21位と商業的にも失敗に終わってしまった。(しかしアルバムからのファースト・シングル「Black Nite Crash」は『メロディー・メイカー』誌のシングル・オブ・ザ・ウィークを獲得している) またアルバム・リリースよりも先にライドは分裂してしまい、1996年1月には正式に解散を発表した。バンド・メンバーが若すぎたことで、壊れてゆくバンド内の人間関係が手に負えなくなり、更にバンドの音楽的なスタイルが変わってゆくのを主導するリーダー的な役割を誰も担うことが出来なかった末の結末だった。
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