1971年 - 1972年製造車とは? わかりやすく解説

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1971年 - 1972年製造車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)

国鉄103系電車」の記事における「1971年 - 1972年製造車」の解説

保守省力化を図る改良加えられグループで、1972年2月登場したモハ103-282 - 330モハ102-437 - 486クハ103-180 - 212サハ103-308 - 323の計148両が該当するモハ102形モハ103形より1両多いのは、1971年5月根岸線洋光台事故廃車となったモハ102-169の補填としてモハ102-445が製造されたためである。 側窓は試作冷房車と同じユニット窓となり、前照灯1000番台1200番台と同じシールドビーム2灯となった主制御器は限流継電器無接点化など保守省力化図ったCS20D形に変更された。冷房搭載しないので先頭車運転席下の通風口復活している。 発注時点前述試作冷房車試験であったことから非冷房車として製造されたが、これまでの運用表面化した問題への対策講じられ随所改良が行われたことから「1次改良車」とも呼ばれる。なお、これ以降製造分が「○次改良車」と呼ばれることはない。 冷房化グループ全車にAU75系冷房装置搭載されず、分割民営化後軽量な集約分散式WAU102形(JR西日本)やAU712形(JR東日本)を搭載した車両存在する冷房改造時にクハ103形前面通風口は埋込まれており、現存車両はすべて後述1973年昭和48年製造車同一形状となった昭和46年第3次債務車(モハ103-316以降モハ102-472以降)では、103系1200番台増備とともに主電動機ISOネジ採用のMT55A形に変更された。 京阪神緩行線編成単位集中投入されたため、大部分車両明石電車区(現・網干総合車両所明石支所)に新製配置されており、クハ103形188松戸電車区(現・松戸車両センター)に新製配置された以外はすべて明石電車区配置となった

※この「1971年 - 1972年製造車」の解説は、「国鉄103系電車」の解説の一部です。
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