1971年 - 1972年製造車
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「国鉄103系電車」の記事における「1971年 - 1972年製造車」の解説
保守の省力化を図る改良が加えられたグループで、1972年2月に登場した。モハ103-282 - 330・モハ102-437 - 486・クハ103-180 - 212・サハ103-308 - 323の計148両が該当する。モハ102形がモハ103形より1両多いのは、1971年5月の根岸線洋光台事故で廃車となったモハ102-169の補填としてモハ102-445が製造されたためである。 側窓は試作冷房車と同じユニット窓となり、前照灯は1000番台・1200番台と同じシールドビーム2灯となった。主制御器は限流継電器の無接点化など保守の省力化を図ったCS20D形に変更された。冷房を搭載しないので先頭車運転席下の通風口が復活している。 発注時点で前述の試作冷房車が試験中であったことから非冷房車として製造されたが、これまでの運用で表面化した問題への対策が講じられ、随所に改良が行われたことから「1次改良車」とも呼ばれる。なお、これ以降の製造分が「○次改良車」と呼ばれることはない。 冷房化はグループ全車にAU75系冷房装置は搭載されず、分割民営化後に軽量な集約分散式WAU102形(JR西日本)やAU712形(JR東日本)を搭載した車両も存在する。冷房改造時にクハ103形の前面通風口は埋込まれており、現存車両はすべて後述の1973年(昭和48年)製造車と同一形状となった。 昭和46年度第3次債務車(モハ103-316以降、モハ102-472以降)では、103系1200番台の増備車とともに主電動機がISOネジ採用のMT55A形に変更された。 京阪神緩行線に編成単位で集中投入されたため、大部分の車両が明石電車区(現・網干総合車両所明石支所)に新製配置されており、クハ103形は188が松戸電車区(現・松戸車両センター)に新製配置された以外はすべて明石電車区の配置となった。
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