1971年から1980年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 00:17 UTC 版)
「ワシントン・コマンダース」の記事における「1971年から1980年まで」の解説
1971年1月6日、元ロサンゼルス・ラムズのヘッドコーチ、ジョージ・アレンと契約した。アレンは若手の有望選手を次々にベテラン選手とトレードしていき、チームはNFLで最も平均年齢が高くなり、オーバー・ザ・ヒルギャングと呼ばれるようになった。この年チームは9勝4敗1分の成績で1945年以来となるプレーオフ出場を果たしたがディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに20-24で敗れた。 翌1972年にチームは1942年以来となるプレーオフを地元で戦う権利を得てグリーンベイ・パッカーズを16-3、ダラス・カウボーイズを26-3で破り、第7回スーパーボウル出場を果たした。この年レギュラーシーズン無敗のマイアミ・ドルフィンズと戦い、ノーネームディフェンスと名付けられた強力守備に押さえ込まれ7-14で敗れた。オフェンスはタッチダウンを奪えず第4Qにガロ・イェプレミアンのFGをブロックし、その後イェプレミアンが無理にパスを投げようとして零したボールを拾ったマイク・バスのリターンタッチダウンによる得点だけであった。 チームは1973年、1974年、1976年とプレーオフへ進出したがいずれも1回戦で敗れた。1977年に9勝5敗ながらプレーオフを逃すとアレンはヘッドコーチを解任されてジャック・パーディーが後任となった。 1974年に1976年のドラフト1巡指名権とのトレードでQBジョー・サイズマンとの交渉権を獲得した。 1978年チームは開幕から6連勝したがその後10試合で8敗を喫し、8勝8敗でシーズンを終えた。1979年のドラフトでチームはドン・ウォレン、モンテ・コールマンを獲得した。前半を6勝2敗で折り返したチームは10勝5敗でダラス・カウボーイズとの直接対決で地区優勝、プレーオフ出場を賭けて対戦した。34-28とリードして残り時間わずかとなったがそこからロジャー・ストーバックが逆転タッチダウンを決めて34-35で敗れた。パーディーはAP通信、及びUPI通信から最優秀コーチ(UPI通信はNFC最優秀コーチ)に選ばれたが1980年を6勝10敗で終えると彼は解任された。
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