1968年4月着任拒否高等学校
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「校長着任拒否闘争」の記事における「1968年4月着任拒否高等学校」の解説
福岡県立黒木高等学校校長:他校で教頭を務めていたが、1968年(昭和43年)3月31日、県教委から黒木高等学校校長に補するとの連絡をうけ、4月1日に教育委員会に出頭するように命じられ、辞令の交付を受けるため県教委教職員課に出頭したが、高教組中西書記長が現れ抗議し、帰宅することになる。正式辞令は4月3日に自宅に郵送された。4月3日、前赴任高校で残務整理をしていた校長に対して高教組八女支部長が現れ着任拒否決議書を渡し、「絶対に受け入れない」と伝える。8日、入学式当日赴任しようとするが、約80名のピケ隊(ピケッティング)を率いた高教組八女支部との交渉は、校長を怒鳴りつけるなど紛糾し、校長は入学式には出席できなかった。 福岡県立修猷館高等学校校長:8日の入学式当日はタクシーの中に身を伏せて中西書記長が指揮するピケ隊のピケライン突破し無事着任した。強力な同窓会、PTAなどの支援をうけ高教組を排除した。 福岡県立戸畑工業高等学校校長:8日入学式はピケ隊に阻止される。20日、事務局と連絡し午後3時に入校、ピケ隊に阻止されるが応酬し話し合いののち入校成功。 福岡県立水産高等学校:他校で教頭を務めていた校長が任命を受けたが、高教組福岡支部事務室に呼ばれて着任拒否決議書を手渡され、「ベトコン作戦でいくから」「普通科の高校から赴任しても水産高校の校長は務まらない」などと脅迫的言葉を浴びせられた。5日から9日は交渉で入学式には参加できなかった。19日県教委の着任命令をうけ、19日朝登校し、校長室にて給与支出命令などの案件について事務局長と決済をおこなっていた。そこへ高教組3名が訪れ、退去を要求された。事務処理は終了していたので、校長が帰宅しようとしたが、話し合いを求められて応じ、組合員40名と対座することになる。「今までよりつきもせずにこっそりやってくるとは何事か!校長の資格なし」「泥棒猫」など激しく糾弾され、捺印していた給与支出書を破棄させられた。24日午前中に登校したが門は閉められて20名の組合員が立ちはだかり、入校できなかった。 北九州盲学校校長:2日、組合より校長辞退届を書くように求められた校長は、交渉に慣れておらずに、その後の受け入れ体制がよくなるのではと思い、辞退届を書いてしまい、5日には県教委からの辞令も組合へ渡してしまった。9日の入学式は校長辞退届を書いたのだからと登校を拒否される。15日朝、登校をしようとしたが、教頭ら40名のピケ隊から入校を拒否された。20日、24日も入校を試みるがピケ隊に阻止された。 久留米聾学校 鞍手農業高等学校(現・福岡県立鞍手竜徳高等学校) 大川工業高等学校(現・福岡県立大川樟風高等学校) 福岡県立八幡高等学校 福岡県立宗像高等学校 大牟田商業高等学校(現・福岡県立ありあけ新世高等学校) 福岡県立福岡中央高等学校
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