1962年噴火とは? わかりやすく解説

1962年噴火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:02 UTC 版)

十勝岳」の記事における「1962年噴火」の解説

1952年頃から摺鉢火口北西側噴気が活発となっており(52年噴気孔群または昭和火口群)、直前には地震頻発していた。1962年6月29日2240分ころ、中央火口丘南側にあった湯沼火口付近水蒸気爆発発生。翌30日2時45分には大規模なブルカノ式噴火発生噴煙は高度12,000 mにも達した東側の広い範囲降灰し、千島列島中部でも降灰観測された。大正火口付近硫黄鉱業所には火山弾直撃し死者行方不明者5名、負傷者11名を出した。この噴火同年8月末には終息し湯沼火口通って北西-南東方向伸びる線上4つ火口62-0, 62-1, 62-2, 62-3)を残した。最も活発だった62-2火口中央火口丘とほぼ同じ高さのスコリア丘形成している。1968年1969年群発地震以降一連の活動次第沈静化していき、1974年5月ころから、62-1火口からの噴気再開させるが翌年6月には沈静化する。

※この「1962年噴火」の解説は、「十勝岳」の解説の一部です。
「1962年噴火」を含む「十勝岳」の記事については、「十勝岳」の概要を参照ください。

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