1946-1947
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「ブルー・リッジ (AGC-2)」の記事における「1946-1947」の解説
1945年12月13日に朝鮮の仁川を出港し、22日上海沖に投錨。翌年2月24日まで海軍部隊の基地司令船として機能し、その日にハワイへ向け出港する。真珠湾に短期間滞在したのち西海岸へ向かい、3月18日にカリフォルニア州サン・ペドロに到着。ビキニ環礁で実行される核実験・クロスロード作戦の準備のためにターミナル島のロングビーチ海軍造船所に入る。 6月12日にサンフランシスコを離れ、ホノルルを経由して28日にクェゼリン環礁に到着。ここで核実験を観測する陸海軍、海兵隊の将官や国連の当局者らを乗せる。ハリー・W・ヒル(英語版)少将の将旗を揚げた。本艦に乗艦した将官には、海軍艦船局局長エドワード・L・コクラン(英語版)少将や、ジョージ・F・ハッシー少将、アルフレッド・E・モントゴメリー少将らがいた。 6月29日、ビキニ環礁に到着。7月1日のエイブル実験時には司令兼観測船の一つとして機能した。その後ポンペイ島やトラック諸島を経由してクェゼリン環礁に向かい、そこで7月23日、C・C・グローヴァー少将の旗艦となる。同月25日のベイカー実験では観測船の旗艦を務め、27日にはグローヴァー少将の旗艦としての任を解かれた。30日に本国へと出航し、ロングビーチ海軍造船所で不活性化処理を受ける。1947年3月14日に退役。 本艦は1960年1月1日まで予備役にあり、その日に海軍のリストから名前が削除された。同年8月26日、スクラップとしてオレゴン州ポートランドのen:Zidell Exploration Incorporatedに売却された。
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