1914–1929年
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「リリック・シアター」の記事における「1914–1929年」の解説
1914年、エドワード・エンゲルバッハが賃借人としてウィリアム・グリートの後を継いだ。リリック・シアターではミュージカルはしばらく上演されず、非ミュージカルのドラマが主流となっていたが、その中には、物語の終わりから始まり、最初に戻るという珍しいメロドラマであるOn Trialがあった。この作品は174回という悪くはない上演実績をあげた。またドリス・キーンとオーウェン・ナレス主演のRomanceは、ヨーク公劇場からリリック・シアターに移され、1049回の上演を終えた。キーンはその後、喜劇であるRoxana(1918年)に主演し、高い評価を得た。1919年には、『ロミオとジュリエット』でキーンの夫であるバジル・シドニーが演じたロミオの相手役としてジュリエットを演じたが、この時の批評は厳しいものであった。そのためエレン・テリーが演じた乳母は、この作品の救いとなった。 ミュージカル・コメディは、1920年代初頭にリリック・シアターに戻ってきた。ロバート・ストルツが音楽を、ハリー・グラハムが脚本を担当した笑劇であるWhirled into Happiness(1922年)は244回の公演が行われ、コーティス・パウンズが主役のフランツ・シューベルトを演じたLilac Timeは1922年12月に幕が開き、626回の公演が行われた。フレデリック・ロンズデール脚本で、ハロルド・フレイザー=シムソンが音楽を担当したThe Street Singerは、フィリス・デアとハリー・ウェルチマンが主演し、1924年6月から360回の公演が行われた。 1920年代の残りの期間、リリック・シアターのプログラムは音楽以外のほうが多かった。演劇史家のレイモンド・マンダーとジョー・ミッチェンソンは、1926年と1927年に2人の名前がこの劇場と密接に関連するようになったと書いている。「エイブリー・ホップウッドの3つの劇が目覚ましい上演実績をあげた。デイヴィッド・グレイとのコラボレーションによるThe Best People(1926年)は309回、The Gold Diggers(1926年)は180回、The Garden of Eden(1927年)は232回の公演を行った」。後者の2作品には、1920年代の “ブライト・ヤング・シングズ"の間でかなりの興行成績を収めていた女優のタルーラ・バンクヘッドが出演していた。彼女はリリック・シアターで、Her Cardboard Lover(1928年)とLet Us Be Gay(1929年)に出演した。
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