1914年12月の機雷敷設作戦
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「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事における「1914年12月の機雷敷設作戦」の解説
ロシア艦隊は慎重に機雷敷設作戦の準備を行い、ようやく12月1日 になって出撃した。リューリクは作戦で120 個の機雷を敷設し、ボイラー不調で出撃を見送ったバヤーンのかわりに出撃したアドミラール・マカーロフは63 個の機雷を敷設した。翌2日 には、機雷敷設艦エニセイが240 個の機雷を敷設し、これをオレークとボガトィーリが護衛した。また、水中からはロシアの潜水艦アクーラとイギリスの潜水艦E1およびE2がこれを掩護した。 作戦遂行上、アドミラール・マカーロフとリューリクは分かれて機雷敷設を行った。この過程で、アドミラール・マカーロフはゴットランド島付近の危険な海域を認識することになったが、リューリクはこれを認識しなかった。このことから、翌年リューリクは同じ海域で座礁事故を起こすことになる。 この作戦で、ロシア艦隊はダンツィヒ湾までの海域に433 個の機雷瀬を設置することに成功した。
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