1793年法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 16:16 UTC 版)
この主題に関する最初の具体的法律は1793年2月12日に法制化され、北西部条例やアメリカ合衆国憲法第4条と同様、奴隷という言葉を含んでいない。その規定によって連邦の地区あるいは巡回判事、または州判事は逃亡者とされる者の処遇を最終的に陪審裁判なしで決定できる権限があった。 この規定は間もなく北部州の強い反対に合うようになり、この法の執行にあたる役人を妨げるための「個人的自由法」が成立した。1824年のインディアナ州と1828年のコネチカット州では、逃亡者が自分に不利な判決を言い渡された場合に上訴できる陪審制裁判を規定した。1840年のニューヨーク州とバーモント州は逃亡者に対する陪審制裁判を受ける権利を拡張し、逃亡者には弁護士を付けることとした。19世紀の最初の10年間には既に、1793年法に不満を抱く個人がアメリカ合衆国南部からカナダあるいはニューイングランドに逃亡するアフリカ系アメリカ人に対して組織的な援助を行う、いわゆる地下鉄道 (秘密結社)の形態をとり始めていた。 1842年、「プリッグ対ペンシルベニア州事件」におけるアメリカ合衆国最高裁判所判決は、州当局は逃亡奴隷の事件について法を強制できるのではなく、連邦政府当局が連邦法を実行しなければならないとしており、その後マサチューセッツ州(1843年)、バーモント州(1843年)、ペンシルベニア州(1847年)およびロードアイランド州(1848年)が州役人の逃亡奴隷法執行を禁止し、逃亡奴隷のために州刑務所を使用することを拒絶した。
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