13植民地の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:00 UTC 版)
「近世から近代にかけての世界の一体化」の記事における「13植民地の成立」の解説
詳細は「13植民地」を参照 イギリスでは、1607年のヴァージニアに始まり、1732年のジョージアにいたる東海岸に13植民地が形成された。フランス植民地にくらべると、自営農民として家族単位での植民と定住が一般的であり、人口も多かった。特に18世紀に入ると人口は急増し、農地の確保をめざしたため先住民であるインディアンとの摩擦も多かった。イギリス国王の特許状による自主的な運営が行われ、政治的自由が認められており、その緩い支配は「有益なる怠慢」と称されていた。13植民地の経済的な特色は、北部と南部では著しく異なり、中部はその中間的な特色を有していた。 プリマスやマサチューセッツなどを中心とするニューイングランド植民地(北部植民地)はピューリタンが多く、自主独立の気風が強かった。この地域では庶民の立法機関であるタウンミーティング制度が発達していた。豊富な水力や木材を利用した工業も発達し、産業資本家や労働者の形成もみられた。しかし、農業の大規模経営は発展しなかった。 ヴァージニアやサウスカロライナなどの南部植民地では、プランテーションとよばれる大規模農業経営が広まった。そこでは当初白人の年季奉公農民を使用していたが、労働力不足からしだいにアフリカ大陸から黒人を奴隷として輸入するようになった。プランターの多くは保守的で、またカトリックの勢力が多かった。そこでは、本国の議会制度を模したカウンティ(郡)の制度が採用されることが多かった。 ニューヨーク、ペンシルベニアなどの中部は小麦を中心とする農産物輸出が盛んだったが、奴隷制プランテーションは発達せず、農業と商業を中心に発達した。
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