11代高公
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三井 高公(みつい たかきみ、明治28年(1895年)8月3日 - 平成4年(1992年)11月13日)は、三井家11代当主。10代当主高棟の二男。1919年に16代三井八郎右衞門を襲名。1920年に京都帝国大学法学部を卒業して日本銀行に入り、1924年から5年間ロンドンに留学、帰国後三井合名に入社(のち社長)。戦前の長者番付では常連と化しており、1939年公表の納税額は日本一となる287万4037円を記録。東の横綱となっていた。 敗戦後の財閥解体で三井系各社への支配権を失った後は、父・高棟が創設した幼稚園、若葉会幼稚園を終生にわたって経営した。また、東京都港区西麻布(旧・麻布笄町)にあった総領家三井八郎右衞門高公邸(1952年築)は、東京都小金井市にある江戸東京たてもの園に移築され、一般公開されている。妻の鋹子(としこ・1901年-1976年)は旧福井藩主・越前松平家第18代当主・松平康荘の長女。三男・公乗の岳父に浅野八郎。四男・之乗の岳父に林友春(林博太郎の子)。長女・久子は浅野久弥(浅野八郎次男)の妻。 自動車愛好家としても知られ、第二次世界大戦前はベントレー・イスパノ・スイザ、ブガッティ、ランチアなどヨーロッパの高級車やスポーツカーを常時10台以上所有し、90歳代になってもベントレー・Tタイプを自ら運転していた。
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